銀の狐 金の蛇27 「夢鏡」中編
- カテゴリ:自作小説
- 2018/02/25 16:42:04
言われて初めて、ソムニウスはおのれがしゃくりあげて泣いていることに気づいた。よくも叫べたものだと思うが、それは実際に口から出す音波ではないからだろう。意思の力が師の魂をゆさぶり穿ったのだ。
「チル。ごめんね……。でも私は、あきらめない」
「うう……」
「わが師と別れたとき、私は決してあきらめないと決めた。今回は退くけれど、次は必ず君を私のものにする。私たちは、契約してるんだから」
ヒュプノウスの顔が目前に現れた。
やわらかくにっこりと口の端があがっている。ここちよい微笑みだ。頭にぽふんと、手が載せられる感覚がする。だが次の瞬間その微笑はふっとしぼみ、師の顔は固く真顔になった。
彼は囁いた。
悲痛な声で、ぽそりと。
「ねえチル……あのときあきらめなかったら、未来は変わったんだろうか?」
「う……それはたぶん――」
ソムニウスが答えようとしたそのとき。
とん、と背中を押される感覚と同時に、雲間がおそろしい勢いで流れていった。
師は答えを聞くのを嫌がったらしい。
落とされたのだと察する間に、地表がどんどん迫ってくる。
『魚食らいどの。すまなんだ』
地にもどるソムニウスのそばを、天へのぼっていく魂がひとつ。
『ロフ殿!』
それは翁の神官ロフだった。岸辺にて国主がすがるその体から、ついに離れてしまったのだ。ソムニウスはおもわず手をのばしてつかもうとしたが、翁は逃げるように昇る速度をあげた。
『引き止めてくれるな。わしは罪をつぐなわねばならぬ。どうか娘を。国主どのを。ユインを……たのむ』
『頼むだと? たしかに私はかの邑の後見だが……あなたの代わりにはなれまいぞ』
あっというまに雲間を越えていくロフを見送ったあと。国主たちの嘆きはいかばかりかと、夢見の導師は下界を見すえた。
ユインの邑にできた湖の岸辺から、光の筋が飛び出している。
(匂い袋を開けたか!)
光は死したソムニウスの胸もと、弟子が持つ匂い袋から水面へと流れている。
(あ……やばい。水に流れ込んでるじゃないか! こ、これは大写しになるっ)
ソムニウスは両手をいっぱいに広げて、銀の鏡面のような水面めがけて飛んだ。
きらめく光の流れの中に、入り込むように。突っ込んでいくように。湖の中に飛び込んだ。
この光の中に入っているのは……
入っているのは――
「なんぞきれいな光じゃ」「精霊様か?」「どんどん広がっていく」
「いい匂いが」「これは、厄除けのお香じゃねえか?」
岸辺にいるユインの人々が固唾をのんで見守る中。匂い袋から流れ出た光は、みるみる湖に広がった。
「おい、水に何か映ってるぞ」「岩?」「岩の壁?」
銀色に輝く岸辺に縁取られ、鏡面のごときみなもに一面、幻像が映し出されていく。師の体にすがっていた巻き毛の弟子が目を見開いて、じゃぶじゃぶと湖の中に入ってくる。
「これは……寺院?!」
平たい水面に映しだされているのは、岩窟の寺院だった。くっきりはっきりと、あの寺院の姿があらわれる。そそりたつ岩壁。うがたれた円窓。天まで届かんばかりにそびえる、穴だらけの岩……。
【いとしきものよ。黒き衣のソムニウスはこの記憶を、汝と、我自身に贈る】
こうこうと鏡のように光る湖から、ソムニウスの声が響く。
それは神聖語で、韻律を操るものにしかわからぬ言葉。あらかじめ、匂い袋の中に仕込んでいたものだ。
【ソムニウスのカディヤに我が永遠の愛を捧ぐ。その証となりしものを、いまここに、封じ込めん……】
輝く岸辺。しかし映しだされる幻はほんのり暗い。
みなもに、異様な光景が浮かんでくる。
岩壁たつ寺院の真ん中。露天の中庭に、細長い布が幾枚も敷かれている。
黒き衣の導師が。蒼き衣の弟子たちが。その上におびただしく、横たわっている。
ソムニウスもそこにいた。黒き衣を着た彼はそこに横たわり、息をするのも苦しい様子だ。
中庭に植わる木の枝の間から見えるのは、黄金色の空。
【木漏れ日。たそがれ。花の香……】
ふき込まれたソムニウスの声が、静かに流れる。
【涙……一番星……白い煙……】
それとは別に。幻影の中で布の上に横たわるソムニウスが、だれかに話しかけている。相手の姿はちょうど水面からきれていて、見えない。
『大丈夫だよ。病気がうつるから、離れていなさい』
『いやっ!!』
みえないひとから、激しい声が聞こえた。
『死なないで!』
そのとたん。幻影の音声を聞いた巻き毛の弟子は、目を見開いた。
「これは……! あ、あの日あのときの……」
『死なないで! いやだ! 死なないで、ソムニウス!』
横たわるソムニウスのそばにいる者の姿が、幻像の中にあらわれる。
師のそばにいるその子は小さく幼くて。泣きじゃくっていて。色鮮やかな服を着ていた。
目の覚めるほど真っ赤な服を――。

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- カズマサ
- 2018/02/25 18:10
- 弟子はどんな対応をしたのかな?
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