銀の狐 金の蛇27 「夢鏡」後編
- カテゴリ:自作小説
- 2018/02/25 16:46:29
【そう。これはあの日あのとき。けっして忘れようのない記憶】
――大丈夫だよ。
赤い服の子に答えようとするも。幻影の中のソムニウスから声は出ない。
吐き出されたのは、苦しい息とおびただしい血。
金切り声が、夕陽落ちる寺院の中庭に響く。
『死なないでソムニウス!! いやああああっ!! カディヤのそばにいて!』
中庭にさす陽光は、西にひどく傾いていて赤っぽい。横たわるソムニウスの体の上にまぶしくふりそそいでいる。
【私がカディヤを得てちょうど一年たったある夏の日。
寺院で伝染病がはやった。恐ろしい熱病だった。
原因はおそらく、供物船ではこばれてきた家畜。
卵をとろうと長老たちが手配したトリが病原菌をもっていたらしい。
多くの者がなすすべなく高熱で寝込み、少なからず死者が出た。
この時、私は死にかけた。病にかかって、死にかけた】
【いや。死んだ。確実に一度、死んだ……たしか息が止まった】
【死んだのだ……】
ソムニウスの体が力尽きる。びくびくとけいれんしたのち、目を見開いたまま硬直していく。
その右隣にも。左隣にも。横たわる者がいる。黒き衣も蒼き衣も隔てなく、多くの者が臥して苦しんでいる。
【我、ソムニウスは忘れない。あの日の木漏れ日。たそがれ。花の香を】
『ソムニウス、目を開けて! ほら、レナンが香炉を振ってる。花のお薬を吸い込んで! ディクナトールのレナンを先頭にして、みんなで鍾乳洞にもぐって、薬になる植物をとってきたんだよ! 真っ青なめずらしい花なの。いまからそれを煙にして、中庭に流すから! だから吸い込んで、ソムニウス』
幼い弟子が泣きじゃくりながら、ぎゅっと師にすがりつく。着ている赤い服は、ちんちくりん。
左肩に目立つ縫い目がある。手足が異様に突き出た格好に見え、見た目にひどくきゅうくつそうだ。
『カディヤをおいてかないで! か、母さまみたいに、なっちゃやだ!』
【我、ソムニウスは忘れない。カディヤの涙を。空に輝いていた一番星を。白い煙を……】
中庭に指し込むたそがれが、どんどん光を失っていく。
暗くなる空に、明星が輝き始める。その宵の色が、白い煙で曇った。
『ソムニウス! おねがい、息をして。ソムニウス!』
弟子は動かぬ師をゆさぶっている。必死に胸を押して、呼吸させようとしている……。
「ソ、ソム……ソム……」
みなもに映る幻影を眺めるカディヤは、ぼろぼろ涙をこぼした。ふるえる唇を両手で塞ぎながら、とめどなく。
「ソム……なんてこと……まさかこれを……遺書にしてくれるなんて」
【我、ソムニウスは忘れない。あの日あの時。私のカディヤが、私にしてくれたことを】
『ソムニウス、いやあああっ!』
横たわる師が完全に動かなくなった、そのとき。
幻影の中の小さなカディヤは、悲鳴をあげながらおのが胸に手をかけた。
びきびきと、ボタンが外れる音がする。
幻影のみなも全体が一瞬、赤く染まる――。
【忘れない……】
そうしてついに。小さな弟子は、赤い服を脱いだ。
死神から守ってくれる力があるという、あの最強の盾を。
一年間、どうしても脱がなかったあの服を。
巻き毛の子はその赤い服をソムニウスにかけ、師の体の上に覆いかぶさった。
『い、い、い、生き返って!!』
声を限りに、小さなカディヤは叫んだ。
『生き返って!! カディヤのソムニウス!!』
【我、ソムニウスは忘れない。赤き服の子は服を脱いで、私に最強の加護の力をくれた。すなわち。私はあの日あのとき――】
幻影の中で、赤い服をかけられたソムニウスがカッと目を開く。
奇跡が起こったのかとみまがうほどすばやく、死んでいた導師は身を起こした。
幻影の中で、ソムニウスがしっかと幼い弟子を抱きしめる。もう大丈夫だと囁き、師は弟子に赤い服をまた着せようとした。
だが。弟子は、だめだと叫んで服を師にべったりおしつけた。両手をつっぱらせ、ぐいぐいとねじこむようにずっと師にひっつけている。
『だめ。ずっとつけてて! はなしちゃだめ! おかあさまが死神から守ってくれるから。カディヤも守るからっ!!』
【私は。あの日あのときから、不死の身となったのだ】
「そ……ソム……ソム! 私のソム……!」
湖の中に入っていた弟子が、そろそろとあとずさり、師のなきがらにすがる。
その泣き濡れるかんばせを、師の声が撫でた。
【いとしいものよ。どうかゆるしてくれ。私はそなたに黙ってあの赤い服をこっそり切った。切れ端はつい最近まで、私の腰袋にあった。今は、匂い袋の中にある。いつも肌身離さずつけている。
だから。なにがあろうと、私は死なぬ】
幻影から流れるソムニウスの声が、静かに宣言した。よどみなく、きっぱりと。
【我がいとしいものよ。正しい名前で私を呼びなさい。もしあの日あのときと同じように私の復活を望むのなら。私はいつでも、よみがえるだろう】
「あの赤い服は、キアンファでは……?」「そうだ。まちがいなかんべえ」
「とするとあの小さなお弟子さまは」「ユインのもんか?」
みなもの幻影を眺めるユインのものたちが、幼い弟子の服に気づいた。
「キアンファをつけたら、魚食らい様がよみがえったぞ?」「す、すごい」
「なんということじゃ」「き、奇跡じゃ!」
どよめく人々。その中で、ロフ神官のなきがらに添う国主が、ハッと弟子に視線を向ける。
「弟子どの。もしやそなたは……」
――「生き返って、ソムニウス!! 望まないはずがないでしょう?! お願い!」
弟子は口が開いた匂い袋から、赤い布の切れ端を探り当てた。ふるえる手のひらにそれを載せるや、血まみれの師の胸に押し当てる。
そうして。いとしい人の、正しい名前を叫んだ。
「お願い! 『カディヤのソムニウス』!! もどってきて!!」
すると。
死した導師の体がほんのり光りだし。
「な……」「ひい、まぶしい!」「あ、熱いぞ!」
驚く人々の前で、カッとくれないの炎があがった。
その炎は天に昇れといわんばかりに高く高く舞い上がる。
まるで生きている鳥の翼のように――
輝く熱い息吹はみるみる、ソムニウスの体を焼いた。
呆然と見守る者たちの前で、導師の体はごうごう唸る炎に呑まれていった。
もはや。
何も見えぬほどに。
遺言の中身は反魂の幻影でした。
反魂にはただならぬ想念と呪力と身代わりが必要・・
想念は袋から、呪力はカディアさんから、
・・ロフさんが身代わりに?
不死身の赤い布は愛あればこそですね^^
諦めるのかな?