Nicotto Town



銀の狐 金の蛇28 「女神」中編

 炎の女神のかんばせが、ひくりと動く。
 声が出せればこちらのものだと、ソムニウスは百の美の形容詞を並べ立てた。
「秀眉麗目美声玲々……立てば芍薬座れば牡丹、歩くその姿は百合の花! 虹色の後光のなんとお美しいことか。これほどの精霊と契約できるとは、並大抵ではありませぬ!」
 ははーっと完全平伏すると。ようやくのこと、狐目の女の人はとげとげしいまなざしをやわらげた。
『まったく、あなたという人は』
「あと百ほど形容を捧げましょうか」
『いりませぬ。当然のことを、もったいつけてならべたてられても』
「は、はいすみません」
『一の姫……なつかしい呼び名ですこと』
 なんとなつかしい土地。
 輝く女性はあたりを見回し、こおっとため息をついた。
『ああ……母上様がつきっきりで、刺繍の刺し方を教えてくれましたわね……でもわたくしったら、自分の娘にひとつも刺せず死んでしまったのです。それが悔しくて悔しくて、輪廻の波に乗らずに雲間にいすわって、雲の糸で花の刺繍をえんえん作りつづけておりましたわ。雲の刺繍が、どうかあの子に届きますようにってね』
 刺繍。それはまごうことなく、赤い衣に刺すあの|千の花の刺繍《キアンファ》のことだろう。
『がむしゃらにつくったものだから、わたくし自身は気づかなかったのですけど。天から地上に刺繍の花雲がこぼれおちるぐらいになって、雲間に住む者たちがあっぷあっぷ、おぼれそうになったそうです。
 それで大精霊様がわたくしのもとにやっていらしゃって。雲間をこれ以上、花の刺繍だらけにしないでくれとたのんできたのです。もし作るのをやめてくれたら、代わりにわたくしの子を完璧に守ってくださるとおっしゃったのですわ』
 輪廻するのはとにかくいやだと、輝く女性は精霊に乞うた。ずっと子どもを見守りたいと。白雲にたゆたう大精霊は、その金剛石よりも固く強い意思の願いをかなえたのだ。
 輝く女性は目を細めてにっこりほほえんだ。
『だからわたくしは、精霊様と一体になったんですの。でも口惜しいことに、我が子だけにはこの姿を晒せぬという契約なのです。きっとあの子の目には、わたくしはごうごうもえさかる炎にしか見えておりませんわ』
「きっと……きっとその御心は通じております。わが子のために神と同化なさった方よ」
 頭を垂れるソムニウスはゆっくり、かみしめるように言葉を紡いだ。

「なんぴとたりとも、あなた様には、勝てません」

 刹那。女神となった人から、しごく納得したような、満足げなため息がもれた。
 長く深い、はあっという息が。
『分かればよろしい。そうよ。そなたの愛など、わたくしの足元にも及ばないのよ、ソムニウス』
 炎の勢いがみるまにおだやかになる。ソムニウスの鼻先に、かろやかな風のごとき芳香がにおってきた。それはあの匂い袋と同じ香りだった。
『そなたの言葉に免じて、今一度、あの子をそなたに任せましょう。わたくしは我が弟妹の魂を輪廻の波へ導びかねばなりませんからね。ソムニウス、もうあの子をけっして泣かせないで。今度悲しませたら、絶対に許さないわ』
「御意、母神様」
 まばゆい炎がちりりと空へ散っていく。
 女性の姿もともに、千の花となって散華していく……
(よかった。なんとか、お戻りになってもらえた)
 ソムニウスは安堵の吐息をついて、どっと堅い体勢をくずした。
 視界がひらけてくる。湖の岸辺が見えてくる。
 みなが、固唾を呑んでソムニウスを見守っていた。
 国主。士長。白い子。神官たち。
 レイレイ。その婚約者。レイレイの母親。奉り人たち。
 それだけではない。
 ユインの老若男女のほとんどが、炎に焼かれた魚喰らいを取り囲んでいた。
「あ。指……!」
 怪我の功名というものだろうか。右手の指が再生し、五本ちゃんとそろっている。他の部位もやけどの跡はまったくなく、真っ白艶やかな肌だ。もしかして、かなり若返ったのではなかろうか。
 大事なところを慌てて隠しつつ。ひそかに期待する夢見の導師の耳に、いとしい声が聞こえてきた。

「ああ! カディヤのソムニウス!」

(ああこれは)
 首にひしと抱きついてきたその人を、ソムニウスは抱きしめた。顔に満面の笑みを浮かべながら。
(これは、よく知っている子の声だ)




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2018/02/27 15:42
蘇生が始まりましたかね。




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