迷信ってなんだろうね
- カテゴリ:占い
- 2018/02/27 14:05:04
迷信はwikipediaによると。
”人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信などをこう呼ぶ。様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすものである。”
例として「うなぎと梅干しを一緒に食べるとお腹を壊す」とか緑「青は猛毒である」とかあって、たしかに根拠薄弱で事実が違っていることもある。うなぎと梅干しを一緒に食べてもお腹を壊すわけではないし(食べ過ぎると誰でもお腹を壊す)、緑青の毒は他の金属と大差ない(花緑青は毒性が強い)ことがわかって辞書から猛毒との表記は削られた。
結婚式やお葬式の日取りを決めるときによく使う六曜や風水はどうだろうか。
結婚式の予約をするのに大安と仏滅のどちらも選べた場合、安いからという理由で仏滅にしたときに、万が一悪いことが起こったときにあのときにわざわざ仏滅にしたと言われるのは間違いない。お葬式を友引にしてなんでわざわざって言われたくもないだろう。
会社を起こすのに不成就日とか三隣亡の日を避けるのも気遣いで、縁起担ぎではある。
とはいえ、暦学の吉凶は高島易断のような易学者が勝手に都合よく決めているわけではない。四柱推命もそうだけれど、占いは統計の成果で、ビジネスでビッグデータを使うのと似たようなことだと思うとわかりやすい。
黄色の財布を使うとお金が貯まるわけではないけれど、貯まる人が多いという統計があってその色が選ばれたという理由だ。他にも理由はあるが、当たっているかどうかは本人の努力なんだよね。
専門が民俗学なので迷信と言われることはかなり勉強したのですが、合理的ではないけど駄目なわけでないんですね。六曜も風水も根拠があるので適度に採り入れればうまく回るという。
方違えはサボりの理由になったりもしましたね。
百人一首の喜撰法師が詠んだ「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」は宇治山(喜撰岳)はホントは都の南なんだけど、東南にあると詠まれているんですね。でも、南が凶のときは「喜撰法師の歌にたつみとありますし」という理由で方違えしなかった風流もあります^^
高田崇史さんは「わが庵は都のたつ み鹿(弥勒)すむ」と解釈していました。喜撰=紀仙で紀氏は復活すると。
科学が発達していないころ、普段と違うことが起きれば、人々は神に祈りを捧げ、
神のお告げと称して、祈祷師、占い師、坊主などが、政を左右することもありました。
長い時を経た知恵からのお告げ、ただ私欲を肥やすためのでたらめなどがあった中、
やはり残ったのは、経験から基づく結果で、それが迷信という形で残ったのだと思います。
経験からの知恵ではない迷信の中で大変そうと思ったのは、平安時代の貴族は、宮廷への出仕も、
方角が悪いからお休みなどと、今では考えられないことがあったようですね。
何から何まで、占いでがんじがらめにされた時代だったのだろうと思います。
kiiriさんが読まれていた、卑弥呼も占いで政をした女王だと聞いたことがあります。
ただし、食事を運ぶ男とのが一人いて、その他のものは卑弥呼の姿を見たことがなかったとか・・
あっ、書きだすと止まらないので、このくらいにします。だらだら余分なことを書いてごめんなさいね