銀の狐 金の蛇29 「青き花」(後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2018/02/28 19:13:53
夢見の導師は、急いで鉱山の下層にもぐった。
(なぜにもっと早く気づかなかったのだ!)
臍をかむ思いで、低木にびっしり咲いている青い花をごっそりつみとる。弟子もフェンも手伝い、みなで懸命に花をとり、いくつものかごに花をいっぱいにした。
その途中で、フェンもたおれた。彼もまた、同じ病に侵されていたのだ。
幸い、若い夫婦は花の煙が効いて、二日で回復した。
しかし彼らが倒れた原因は、旅疲れではないと師弟は悟っていた。
「これはおそらく、二十年前にユインで流行ったのと同じものだ。かの地では、この花の実から作られている香が厄払いの香として使われている。たぶんに、二十年前の流行り病を抑えたからであろう」
「では、深刻な事態には……」
「いや、香のたくわえは非常に少なかった。あれだけでは足りぬ」
でも、と弟子はうろたえた。
「もしユインへ戻る動きを見せれば、下の弟子たちが……レヴェラトールに殺されます。おそらく私も。あの人に、髪を預けてますから」
「大丈夫だ。我々はなにも知らぬそぶりで、寺院へ帰ればよい」
師弟はさらに青い花を集めまくり、若い夫婦に頼んだ。
「急いで、ユインへ届けてくれ!」
ユインの国主からかなりの路銀をもらっていたのは幸いだった。
荷車いっぱい花がつまった籠を積んで街に出た一行は、そこで大きな荷馬車を買い取り、花かごを移した。
馬車が集まるその広場には、同じ香りをただよわせる荷馬車が三台あったので、ソムニウスは驚いた。
聞けばこの街の領主が、もっと北方の街から買いつけた物だという。領主の命令で、これらはユインに送られるのだそうだ。
メンヌの領主の名を思い出したソムニウスは、その場で小踊りしたいほど歓喜に満たされた。
「テスタメノスの実家じゃないか!」
細手の親友は卜占で未来を読む。実家を使って必要なものを必要なところへ、こっそり送りつけるつもりでいるらしい。
(我らを助けるため? いや、それだけではないだろうが、ありがたい!)
メンヌの領主は他の地方からも大量に青い花を買い付けていた。こうしてかぐわしい香りを放つ荷馬車の一団がたちまちできあがった。
奇しくも同じものを運ぶ一団と合流した若き夫婦は、ここで師弟と別れた。
師弟は北の寺院へ。若い夫婦は、荷馬車とともに南のユインへ。
互いに別れを惜しみながら、互いが行くべきところをめざして離れていった。
「どうか間に合いますように……」
街道を歩く弟子は心配げに、何度も何度もふり返っていた。
間に合ったら、あの二人はユインの救い主となる。もしかしたら、罪が許されるかもしれない。
だが……
ソムニウスは歯軋りして、はるか先にあるものをにらんだ。
「レヴェラトールめ……呪われろ!」
怒りを押し殺したその口から、おそろしい言葉が飛び出した。
憎悪のこもった渾身の呪詛が。
『ゲヘナの炎に焼かれて灰となれ!』
疾く進む花の荷馬車がふたご山にいきつくまでは、三日とかからなかった。
山道は猛吹雪だったが、若い夫婦はひるまず果敢に荷馬車を押した。
苦労のすえ、ふりしきる雪のはざまに、銀色の湖をみつけたとき。
「ああ……なんてこと……」「急ごう、レイレイ。あと少しだ!」
若い夫婦は、湖の岸辺に白煙の柱がいくつもたっているのを目撃した。
それは――荼毘の炎が出す煙だった。
いったいいくつ、葬送の煙が立っているのだろう。
ユインの邑は惨禍に見舞われていた。
流行り病という、危機的なものに。
分厚い岩壁に囲まれた、狭い岩窟。うがたれた丸窓から、暁の光がうっすらさしこんでいる。
岩窟の寺院は、底冷えのする寒さ。部屋はまるで氷室のようだ。
「ああ、寒い。寒いなぁ」
熊の毛皮を敷いた寝台に寝そべるソムニウスの脇から、弟子がするりとおりる。
壁にたてかけてある大袋から温石をとり、火鉢に放り込むと。
巻き毛ゆらす弟子は、袋に隠されている密書を取り出した。
「どうだ?」
「死者、十七人」
「くそ」
夢見の導師の顔が歪む。師は両手で顔を覆い、ぶるっと毛皮の中で身震いした。
「おばあさまは……国主どのは、ご無事です」
「ああ、二十年前に経験した者は大丈夫だ。病の猛威に勝って、生き残った者はな。十数年前にわずらった私にも免疫がある。そなたはふだんから特効薬をまとってるし」
「これは寺院で流行ったものと同じ病、ですか?」
「あの花が効いたのだから、十中八九そうだろうな」
「国主どのの報告書に記された犠牲者は、みな若者ばかりです。白い子もおばあさまの孫たちも、なんとかうつらずに済んだようですが」
弟子が黒き衣を着せてくる。ぎゅっと強く靴紐を結んでもらうと、ソムニウスは堅い表情で部屋を出た。祈り顔の弟子の視線を背に受けながら、大またに回廊をずんずん進み、風を編む石舞台へ上がる。
すべてを見通すレヴェラトールはすでに舞台に来ていて、眼下に広がる蒼い湖をひとり眺めていた。
その口から歌が流れている。
「声」は雪の結晶のようにふわふわ光りおちて、空気に溶けている。
とても美しい声だが。刺すように冷たい……。
「おはようございます。ごきげんうるわしく」
声に棘を混ぜぬよう、夢見の導師は細心の注意を払った。
不死の少年は歌うのを止め、ほのかな微笑をソムニウスに向けてきた。
「チルが寝坊しないで舞台にくるなんて、めずらしいな」
「感謝の気持ちを述べたくて。昨日ユインから、また貢物がまいりました。かような至福を得られるのは、最長老様がわたくしに国を与えてくださったからです。深く感謝いたします」
「あは、チル。おまえは本当にバカだね」
レヴェラトールはおかしげにくすりと鼻をならした。
「湖ができましたので、ユインはますます栄えることでしょう」
「そうか。それは残念だな」
「えっ? なぜ残念なんですか?」
ソムニウスはわざとらしく首をかしげた。だめ押しにきょろんと上目づかいもやってみる。するとレヴェラトールは声をたてて笑った。
「そのとぼけ顔、好きだよ。のうたりんのチル」
「とぼける?」
「ふふ、ユインは実にしぶといな。さすが、獣の血が混じった亜人種どもだ」
「だいぶ、血統は薄れております」
「――おぞましい」
刃のような冷たいひとことが、不死の少年の口から漏れた。
「亜人など……四塩基の人間どもが倫理を無視して作り出したもの。あれは存在してはいけない。僕が統べる世界にはいらない」
「そんなこと仰りながらも、最長老様は、ユインに輝かしい未来の予言をお与えになられた。なんと慈悲深い」
「チル……」
「これから百の言祝ぎの形容詞を駆使しまして、最長老様への賛歌第二弾をお捧げしようと思います!」
「ねえチル」
「第一弾よりもはるかに華美度アップ! もちろん意味の取り違えなんてしませんからっ」
「僕のチル」
ぐっと拳を握って歌いだそうとするソムニウスに、不死の少年は黒き衣のたもとから、すっと髪の束を差し出した。
「慰めてくれなくていい。おつかい完了の褒美に、これを返す」
「ああ……! なんという慈悲!」
「チルはイイ子だからね」
「いえそんな」
「僕にうしろめたいことをしたら、バカ正直に報告しにくる。他の奴らなんか、まったく知らんふりさ。ほんと、愛嬌のかけらもない」
「え。えっとその」
「はは。ぽかんって口あけて。かわいいな」
「あ、ありがたき? 幸せにございます」
悲しげにほほ笑む最長老に、ソムニウスは深く頭を垂れてひざまずいた。ひと房の髪が、さしだした手に載せられる。
美しい巻き毛が、湖から吹いてくる風にゆれた。ふわりふわりと。ソムニウスの手に収まったのを、喜んでいるように。

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- カズマサ
- 2018/02/28 22:09
- さて最長老様はどうなりますかね。
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- みうみ/Sian
- 2018/02/28 19:32
- 次回、エピローグです。
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