神様って願い事を聞いてくれないの?
- カテゴリ:その他
- 2018/03/30 14:31:56
恋愛成就の霊験あらたかな出雲大社へ参拝したらご縁があって結婚しました。
学業成就の霊験あらたかな湯島天神へ参拝したら東大に合格しました。
どちらが本当らしく聞こえるかなあ。
身だしなみはひとつも気にしなかったのに出雲大社へ行ってからモテ期が訪れてあっという間に結婚? 学校のテストは赤点ぎりぎり留年しないで卒業できるのが奇跡なのに共通試験の前に湯島天神へお参りしたら圧倒的に試験ができて東大合格?
一部の例外は除いて、現実ではありえない。
初デートでぼざぼさの髪、ジャージでお金もほとんど持っていなくて出かけてうまくいくのはスーパーアイドルだけだし、勉強しなくてもテストで高得点をとるのは不可能に近い。
じゃあ、神様へのお願いは無駄なの?ってことになるんだけど。
神様へのお願いは正式なものでなければ叶わないと思ったほうがいい。というのは言える。そして、神様でもできないことはできない。たとえば、無職で50もすぎて生活習慣病で病院に通っているのにスーパーアイドルと結婚したいって願いは叶わない。たぶん。でも、相応の相手を見つけることはできるし、学業も商売もある程度は力を貸すことができた。それが江戸ぐらいまでの神社だったんだ。
なぜなら、神社って氏子が経営するコミュニティで、戦国期には全国ネットで貨幣経済を支えるためにあちこちを旅することが許された特殊な身分だったから専門知識は半端なくあったんだ。当時は武家も農家も定住が基本で旅をして商売をするなんて発想はなかった。だから、東とも西とも商売ができる神社仏閣はあちこちの情報を金融があつまる分限者だったんだよね。
戦があれば戦力を借りに行くのが武運長久の神様で熱田神宮や諏訪大社はそのための軍団があり、稲荷神社は秦氏系のネットワークで商売のやり方や人脈にアドバイスしてくれた。学業では湯島聖堂のように天神様の近くには学習塾があった。そういうネットワークを利用するために正式に力を貸して欲しいとお願いするのが参拝するってことだったんだよね。
たとえば、東大に合格したいから力を貸して欲しいって場合。
願い事は東大合格、期間は3年間、合格した場合は100万円の寄付ってことを起請文に書いて奉納する。絵馬の奉納は昔は本物の馬をお礼に奉納していてその名残。願い事を隠すようになっているけど、願い事が読めなければ神様は願い事が分からない。なぜなら神様は人間だからね。超越した存在だと思っているとずれがでるよね。
ソロモン王72柱のハルファスにしろ他の援軍にしろ呼ぶのには外交か他の努力かの準備が必要ですからね。
負けそうだからなんでもいいから呼ぶのは不可能だと思いますよ。
しかし後者がソロモン王72柱のハルファス(Halphas)を呼んだ場合、敵側大将本陣真後ろから突然現れた重武装の集団が大将を打つ可能性があります。
現代の神社が変わった原因は明治時代の廃仏毀釈と神仏分離の苛烈さがだと思っています。
その後、合理主義から神社合祀が行われて、地元の神社が遠いところと一緒になったりして密着度が減った上に、国家神道の権威づけのため近寄りがたいものになってしまったからかと。
江戸時代の神社仏閣は武家と同等の扱いだったんです。
キリスト教対策で檀家制度が整えられたのもこのころで町人の管理もしていました。
コンピュータというより、情報と技術を持った人々の集団で、ヨーロッパのギルドに近いかなあ。
たとえば市場は神社の管轄で、出店の管理もしていましたよ^^
ということは、現代では形がかわってしまったのですね?
なら、今の神社って何なのかしら……
神社は、云十年前の重宝された旧型のコンピューターみたいなものだったのかしらw
情報を得るために操作するのは、お金や技術を持った人達で、
そして操作して回答を得るには時間を要したというのをイメージしてしまいました。