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聖徳太子って誰のこと?

聖徳太子はWikipediaによると。

"厩戸皇子あるいは聖徳太子と呼ばれる人物は、飛鳥時代皇族政治家、とされる(された)人物である。「聖徳太子」はその時代に用いられた名前ではなく、あくまで後世につけられた諡号である。厩戸皇子は用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女、とされる。"

でも、存在したかどうか疑われているって知っていた?

天皇の系図は欽明ー敏達ー用明ー崇峻ー推古で聖徳太子は用明天皇の第二皇子と書記に書かれている。

高田崇史さんが著作「カンナ 飛鳥の光臨」(講談社ノベルス)の中で

"『書記』によれば、推古天皇は推古三十六年(六二八)に、七十五歳で崩御された。ここから年表を逆にたどると、推古元年(五九二)、三十九歳で豊浦宮にて即位。その一ヶ月ほど前には、崇峻天皇が馬子に殺害されたとされている。そして三十四歳の時に、夫である敏達天皇が崩御されたというから、これはちょうどその五年前の、五八七年のことになる。ところが、崇峻天皇の即位もまた、同じ五八七年とされているんだ"

587年に敏達天皇が崩御されて同年に崇峻天皇が即位するとすると585年から587年まで在位していた用明天皇が消える。つまり、聖徳太子の父親がいなくなってしまう。

ということで日本書紀が推古天皇の年齢を書き間違えたとして用明天皇を入れているのだけどね。日本書紀は公文書なので間違うだろうかという疑問は残る。

それよりも聖徳太子は蘇我家から出た天皇で、大化の改新により天智系が実権を握ったと考えるほうがすっきりするよね。確認にしようはないのだけど。。。


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2018/04/12 13:03
>Lilyさん
額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 」は一般に「紫草の生えた野を、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらそんなことをなさって。野の番人に見られてしまうではないですか、あなたが私に袖を振るのを」と現代語訳されますが、袖って何?をきちんと調べると別の意味になります。古語では手も足も袖なので、足ととるとホントに生々しい歌になりますね。
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2018/04/11 23:41
この辺の歴史を調べようとしたら、天智天皇(中大兄皇子)の話に目がいってしまい、
聖徳太子をすっかり頭から締め出してしまいましたw
学生のころ「歴史を騒がせたおんなたち」や「額田王」という本を手にとり、
飛鳥時代が好きになりました。奈良にも訪ねて、歴史に浸った覚えがあります。
誰かが言った言葉ですが、遺跡は歴史を勉強して、浪漫を通してみなければ
石が転がったただの荒れ地なんだと・・・。まだ若かった私は、心の中で
額田王が読んだ歌を思い浮かべていました。
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 」
あ~青かったな~~~wwと書いていて思いました。







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