ゴタぴょんの日記 4月16日(水)Ⅳ
- カテゴリ:日記
- 2018/04/22 22:20:05
4月16日(水)Ⅳ
Ⅲからつづく
       【ランチタイム】 
ゴタ緊那羅王 : どちらへ食べに行く? 
ゴタ満善車王 : 「さと」がよろしかよう。 
ゴタ乾闥婆王 : では、五条高倉に行くがよかろう。            
ふつうのゴタ : そうよのう。 
  ヾ(@^▽^@)ノ 
店員さん : いらっしゃいませ。 
ゴタ   : 予約したゴタです。 9名です。 
     別室に案内されました。 
     年配組と、ヤング組に分かれて着席。 
     年配組は、ご両親と、山田の姉の鞠と山田錦。 
     注文は、ゴタ(私です)が取ります。 
     若鶏の照り焼き                3 
     ロースとんかつ定食             1      
     ちく玉海老天丼赤だしつき(745円)    1 
     牛すきうどん定食              1 
     海鮮かきあげ天丼             1 
     毬(姉)と錦が 日替わり定食       2 
     その他 
     コーラ                  6 
     アップルジュース             1 
     オレンジジュース             1 
      注文ミスで、コーラがひとつ余分に来た。 
      こういう場合は、ゴタが飲む。 
      そして、お支払いは・・・・ 
      すべて、お客様(お父様)となった。 
      ごちそうさまでした。 
    ヾ(@^▽^@)ノ 
      【二条城】 
    もともと、織田信長が、足利義昭の居所として、
    1569年に造営した屋敷があったところ。 
    足利氏は、将軍家といえども、
    力を失っており、しかも、信長に盾突いた 
    ため、足利義昭は追放となった。
     ( 力がなくなったら、お飾り将軍でっせ。)
    城は取り壊されたが、そこに、あらたに、 
    家康が、1602年に築城に着手。
    翌年落成し、将軍職を宣旨される。 
    その拝賀の礼を取るため、
    家康は、ここ二条城から、御所に詣でている 
    1611年、家康は、秀頼とこの二条城で会見。 
    上座に座ったのは、家康。下座は秀頼。 
    もとの家来が主人になった瞬間であった。 
    1750年、落雷により、天守炎上。
    以後、再建されないままとなった。 
    1867年10月12日、
    15代将軍慶喜は、松平容保、など首脳を集め、 
    大政奉還の意を伝え、
    翌13日、40藩の代表の前で、
    『大政奉還』
    を宣言する。 
    なので、この大広間にある人形の数では、
    人数が少なすぎるのだ。 
       v(^-^)v
     【哲学の小道】 
     お父様の足が」弱いため、
     全部は歩かず、途中、鹿ヶ谷の 
     ノートルダム女学院に入るところで、
     みなさんを降ろしたが、 
     もう少し先、
     法然院橋辺りのほうが、よかったと思う。 
      (すんませんなあ。歩いとくれやすか?)    
      【銀閣寺】 
    回送して、銀閣寺の市営駐車場に止めます。
    1000円なり。 
    ぼろもうけしやがって。 
      【ホテル着】  
   午後6時、リーガロイヤルホテルに到着。 
   さすがは、ホテル、 
   ゴタが後部ハッチを開けたとき、すでに、
   係員が、台車を持ってきてスタンバイ。 
   車を1泊させると、言ったら、
   特等場所に案内してくれた。
   さすが、コンシェルジュさんの口入れで、
   待遇バッチリ。
   指でOK(サンキュー)の合図。 
   チェックインが無事終了。
   明日のお迎え時間は、
   午前8寺30分と決まりました。 
   午後6時30分、
   ホテルから七条駅まで、タクシーに乗って帰りました。 
    ゴタぴょん
	
	

 
		




























