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源氏はなぜ鎌倉に幕府を開いたの?

鎌倉幕府は1192年に源頼朝が征夷大将軍の宣下を受けて開いたとされていたが実際は1980年に鎌倉の大倉郷に大倉御所が置かれ、侍所も設置。1983年には頼朝の東国支配権を認める寿永二年十月宣旨があり、1985年に壇ノ浦で平氏を滅ぼし、同年の文治の勅許で守護・地頭職の設置と任免が認められた。1190年に権大納言兼右近衛大将に任じられたことで荘園経営の家政機関の政所設置の権を得て幕府としての統治に実態ができたとの流れが教科書で説明されている。

でもね。なんで源頼朝と北条氏は鎌倉に幕府を開いたのだろうね。

三方を山に囲まれて一方が海で守りやすい土地だったからってよく説明されているけど、ホントにそうだった?

鎌倉は今でこそ高級住宅地の印象があるけど、昔からホントにそうだったの?

そんなにいい土地だったら徳川家康はなぜ鎌倉じゃなくて江戸を本拠地にしたのかなあ。後北条氏も鎌倉じゃなくて小田原が本拠地だったよね。ホントのところ、鎌倉よりも江戸や小田原のほうがよかったからじゃないの?

だって、徳川家康は関東へ移封されたときは湿地帯の関東平野を改良するためにそうとうの難工事をしたっていうよね。だったら以前幕府があった鎌倉でよかったんじゃない? 後北条氏の小田原は候補にあがったらしいけど鎌倉は一顧だにされなかったのはなぜ?

大昔、平将門の頃から関東は湿地帯で田んぼや畑を作るのも苦労するところだった。それは戦国時代になっても変わらず、富士山や浅間山が噴火するたびに農民が逃散するくらいだった。江戸時代でも関八州は梅雨の季節になると道がどろどろになって馬でも進めないくらいだったらしい。

そして、関東は北条氏を初め、千葉氏、三浦氏、比企氏、和田氏、結城氏、畠山氏、新田氏、足利氏、上総氏、大庭氏、梶原氏、武田氏などなどそうそうたる豪族が群雄割拠していた。そして、頼朝の先祖は将門の乱のときに平将門を讒言で陥れようとした源経基を初めとして、源頼義らが関東を任国としているときに搾取しまくったせいで関東では源氏は嫌われていたんだよね。だから、鎌倉党と呼ばれる鬼の一族が鉄を採って生活していた鎌倉しか住むところがなかったんだ。鎌倉党は鎌倉を頼朝に渡すときに佐助稲荷(佐殿を助けたから佐助)を建ててもらって渋々鎌倉を譲り渡した。ちなみに当時の鎌倉はひどい湿地帯で鶴岡八幡宮の参道をつくるために土を盛り上げなければならなかったほどだったんだ。

先祖のせいでってことが正解だね。

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2018/05/09 15:25
>子猫☆12さん
安徳天皇の話は有名ですね。
ただ、頼朝は伊豆の挙兵の初戦の山木兼隆との戦いは参戦させてもらっていないし、範頼も頼家も後北条に殺されたと思われるから後北条に利用された源氏は排除されたのかもしれませんね。
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2018/05/05 11:13
 難しい~!!
 一寸勝手ながら此処で、小話を書かせてもらいます。
 源義経が源頼朝に追われた歴史がありますよね。
 あれって安徳天皇(三歳)は殺さないでくれって源頼朝は頼まれてたのに、義経が殺しちゃったから、其れで追われたんですって。

 後、その後奥州の方に逃げたというお話や、中国にわたり、チンギスハンになったとか(流石に其れは違う気がするのですが)色々な説がありますよね。

 (知ってらっしゃるかもしれないし、此処に書くことじゃないかもしれませんが)小咄です。^^;




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