自作5月『妖精』 七色の飴 2/3
- カテゴリ:自作小説
- 2018/05/25 23:54:33
ウサギをもらって数日後。幼い弟子はいつものように、小食堂で師の夕餉の給仕をした。
おかわりのパンをよそったり、木の杯に葡萄酒を注いだり。そうして務めが終わると大食堂でひとり、パンと塩漬け魚をかっこんだ。
他の子たちは仲よさそうに席を固めているが、幼い弟子はいつもひとり。すみっこで目立たないようにして、ろくにかまないで急いで食べる。叔父の家では、席に座って食べることなんてなかった。掃除などの雑用をこなす合間に厨房からパンだけ手渡されて、階段や物置でこそこそ。さぼるなと怒鳴られないよう、あっという間に食べ終えていた。
今夜もそんな調子で、どうにもくつろげないまま、せかせかパンをかじっていると。
「ぬーけーたー!」
突然、そばの卓から歓声があがった。自分と同じぐらいの蒼き衣の子が、高々と手を差し上げる。その指先には、真珠のような白いものがきらり。
「ああもう、昨日からぐらぐらぐらぐら、取れそうでとれなくて!」
「どこの歯?」
「下の前歯! やっほう! さっそく枕の下に入れて寝る!」
「おめでと!」
「やったね!」
周りに座る蒼き衣の子たちは、口々に祝福して。それから自慢だの噂だの、口々に言い始めた。
「僕こないだ、抜けた歯を仕込んで起きてみたら、古代のコインに変わってたよ。超珍しいやつ。お守りにしてる」
「うわ、いいな。俺はふつうに、エティア王国の銀貨だったぞ」
「銀貨なんて、大盤振る舞いじゃん! 君んとこにくる妖精、羽振りがいいな」
「へへ、こっそり船頭に頼んで、向こう岸の街からたんまり、揚げ菓子を買ってきてもらったぜ」
うそだそんな。
幼い弟子は息を呑んだ。まさかほんとうに妖精が来るなんて。
みんながそんな話で盛り上がっているなんて。
「キュクリナスのセドの歯は、金貨に変わったらしいよ?」
「うっそー!?」
「こないだすっごく自慢してたぜ。船頭にその金貨渡して、遊び札のセット買ってきてもらったって、見せびらかしてたよ。五百枚のフルセットのやつ」
「さすが、長老様の子は違うなぁ。セドのお師さまは、白鷹州公の後見人だもんねえ」
うそだそんな。妖精なんているわけない。
幼い弟子はきゅっと口を引き結んだ。ぐらぐらの歯がお金に変わるなんて、ありえない。
(だって前に試したもの……!)
そう。子どもはやってみたのだ。
叔父の家で無理に抜かれた歯を、物置の、自分の寝床に入れた。グスグス泣きながら血みどろのそれをきれいに洗って、枕にしている小箱の下に、願いを込めてそっとしのばせた。
どうか妖精が来ますように。
この歯が銅貨に変わりますように。
もし妖精が来て交換していってくれたら、でっぷり太った叔父さんの子がいつも食べている、キャンディを買って食べてみたかった。赤や黄色や緑の、いろとりどりの美しいお菓子を。
でも抜かれた歯はいつまでも歯のまんま。ずっとずっとそこにあった。
他のものとともに――こわい叔父さんといっしょに、木っ端みじんに吹き飛んでしまうまで。
「妖精なんか……! ふえ?」
なんだかいらついてがっちりパンを噛みちぎったら。ぐらぐらしていた犬歯がぽろっと抜けた。
幼い弟子はそうっと注意深く、口からそれを出して、手のひらに乗せた。
それからじいっと長いこと、その歯を見つめていた。
いつまでも。いつまでも。食堂からすっかり、人がいなくなってしまうまで。
「夕餉の時間は終わりだよ。お皿を下げて、セイリエンの子」
皿洗い当番の子に声をかけられてようやく、幼い弟子はのろのろ席から立った。
大きめの革のサンダルをぺたぺた鳴らして石のらせん階段を上り、金の獅子のタペストリがかかった師の部屋に入る。
幼い弟子は毎晩ここで眠る。まだ一度も、共同部屋を使ったことはない。師が一緒の寝床で寝たがるからだ。
師は毎晩お話を紡ぎ、そのまま添い寝してくれる。
まるで本当の親のように。
ほんものの、パパのように……
「ああラデル、おかえり。食後にナツメヤシはどうかな。今宵はどんな冒険をしようね? どこにいきたい?」
夜に語られる話は、「勇士ランジャディ-ル」が主人公。
空に海に地の底に、黒き衣の導師を連れた勇士は、毎晩世界中を旅して大活躍。行けぬところはどこにもない。倒せぬ敵とて、どこにもいない。龍も神さまも一刀両断。
楽しい大冒険が、えんえん続く―――
にこやかに迎えた師の脇をすりぬけ、幼い弟子は硬い顔で寝台にすわり、籠に入っているウサギを抱き上げた。ナツメヤシはいらないと首を横に振り、押し黙ってしきりにウサギを撫でる子を、師はじっと眺めた。ぎゅっと握られたままの、子どもの片手に焦点を合わせて。
「何か私に、言いたいことがあるんじゃないかな」
すると子どもはじわじわ大きな目に涙をため、はあっと大きなため息をついた。師はそっと大きな手をさしだした。
「ウサギを籠に戻して、手の中にあるものを見せなさい」
おずおず、子どもは言うとおりにした。小さな白いものを載せた手は、かすかに震えていた。
「さっき抜けたの……」
「じゃあ枕の下に入れよう」
「こ、こないよ。妖精なんか、いないんだから」
「ここには居る」
師はまるできらめく宝石に触れるように、子どもの手からうやうやしく小さな歯をとり上げた。
「精霊だって、居るのだからね」
その夜「勇士ランジャディール」は、暗黒の城に囚われている光の妖精を助けた。
金の髪の師は子どもの頭を撫でながら、荘厳なる勲詩のごとく、その物語を語ってやった。
勇士の剣さばきのすばらしいこと。かがやく妖精の美しいこと。そして妖精が、救い主に感謝したことを。自由になった妖精は空へ飛び立ち、七色の星を降らせた。
「甘い甘い、キャンディの雨にして」
幼い弟子がそう頼んだので、その星はたちまち、甘くて丸くてほっぺたが落ちそうなものに変わった。そうして物語はめでたしめでたし。師が終わりの言葉を結ぶと、がっちり師の黒き衣の袖を握っていた子どもは、まどろみの中に落ちていった。
夢の中でも、星が降っていた。
くれない、もえぎ、はなだ色。桃色水色、紫紺に深みどり。
きらめく星は、甘い甘いキャンディの粒になって降り注いだ。
いつまでも。いつまでも。

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- ミコ
- 2018/05/31 05:12
- 抜けた乳歯を枕の下に入れておくと、妖精がプレゼントにかえてくれるというのは、欧米の伝説と風習。幼い弟子さんの夢は無欲でかわいいです^^
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