先生って大事だね、想像力はもっと大事だね。
- カテゴリ:勉強
- 2018/06/08 15:58:38
中学の日本史の教諭がもっと生徒のことを考えていたなら、あるいはもっと日本史に詳しかったとしたら、日本の歴史には興味がなくて仕事ばっかりしていたかもしれないねって思ってる。
日本武尊が走水海(浦賀水道)を渡って逃げるときに海が荒れて進めなくなったとき、弟橘媛が浪の下に降りて海が静まったという古事記の授業で、
「さねさし相武の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」
と詠んで日本武尊の武運を開いた弟橘媛のことを「愛が強いか天候をも変えた」と説明されたんだよね。
それで、「そんなことあるわけないよね、先生みたことある?」って何人かで質問したんだ。結果、逆ギレした先生は質問を無視して授業を進めたんだ。
現実的に考えると、日本武尊の一行が土豪の水軍に襲われてにっちもさっちもいかなくなったときに、弟橘媛を差し出して通してもらったってことなんだよね。
さねさしって相模にかかる枕詞なんだけど、さねさしって枕詞が使われている歌はこの一句だけ。
高田崇史さんはさねさしは額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」のあかねさすと同じで「男女の性愛の様子を指したもので、あかね色した紫の男性が禁断の地の標野の女性へと踏み入った」と解釈していて、弟橘媛の歌は「あんなに愛してくれたのにどうして見捨てられるの?」てことになると説明している。
和歌の意味はあとから勉強したことだけど、中学生でも天候が人身御供でどうにかならないことはわかるのに、なぜ水軍に襲われたたっていうことに想像力が働かないのか不思議だった。
日本武尊は天皇が使わした大将軍っていっても、天皇に見捨てられてろくな装備もなく地方に放逐されたあげくのたれ死にしたんじゃなかったっけってね。
最近の学校のニュースを読んでいるとあんまり変わらないねって思うよ。
大事だね^^
額田王が宴会の席で以前結婚していた大海人皇子との関係を読んだというのが一般的みたいですね。
野守が天智天皇って説があって、「私たちがこんな風につきあっているのを(現在の恋人の)中大兄皇子に気づかれたらどうしましょうか}って意味に取れますね^^
以前kiriさんからそれとなく示唆されたのですが、
私は本で読んだので、こんな風に覚えていました。
みんながいる場所で、中大兄皇子が額田の君に袖を振ったので、
そんなにしたら野守に見られて、私たちの間柄がばれてしまいますよと
嬉しい気持ちに焦りが混じった歌だと・・・。
なるほど~。大胆というか、英雄色を好むというか、ダイレクトな表現を
綺麗にラッピングして別物に見せようとしていたんですね。