出雲はどこにある?
- カテゴリ:勉強
- 2018/07/10 16:51:33
「QED 出雲神伝説」高田崇史著
日本書紀 垂仁天皇7年7月
大和国当麻邑(現奈良県葛城市當麻)で強力を誇っていた当麻蹶速との勝負に出雲国から野見宿禰を呼び寄せ、互いに蹴り合って野見宿禰が当麻蹶速の腰の骨を折って勝ちを得た。これが相撲の始まりとされる。
高田崇史さんは著書のなかで『即日に、倭直の祖長尾市を遣わして、野見宿禰を召す』との日本書紀の記述をおかしいと指摘している。
「この記述を信用すると、長尾市はジェット機を使ったほどのスピードで大和国から出雲国に赴き、野見宿禰に帝のお召しを伝えた。仰せを承った宿禰は長尾市に従って、これまたジェット機並みの韋駄天走りで大和に到着する。そこで息つくいとまもなく当麻蹶速と対決して、彼を蹴り殺してしまったという」
「大和と出雲の往復は、現在、新幹線や特急を乗り継いで、四時間から六時間ほどかかります。往復で九、十時間だ。とても人間業じゃない。またこの話に関連して池田雅雄もこんなことを書いています。『当時(四世紀前半)の大和政権が、果たして島根県の出雲まで行く道筋の国々まで、その参加に吸収していた強力な中央集権国家であったか、大きな疑問が湧いてくる。百歩譲って頻繁に大和国と出雲国の往来があったとしても、そのような遠方の噂を聞いて、武力集団でもない少人数の一行が、他国の山河を縫ってはるばる困難きわまりない旅をしてまで迎えに行くことは想像できない』とね」
では、出雲はもっと近いところにあったことになる。出雲の言葉の意味は雲の出るところ。雲は蜘蛛で朱のあるところを知る虫なので、朱=水銀があるところを知っている人たちがいるところとするなら島根の出雲とは限らないわけだ。
高田さんは「大和国出雲村」ではないかと推測している。
出雲村は奈良県桜井市出雲で当麻蹶速の葛城市當麻の東20キロほど。歩いても大した距離ではない。桜井市出雲の北15キロほどのところには都祁村(現奈良県奈良市)があって素戔嗚尊の八岐大蛇退治をした地と言われている。
今の感覚でいっても大和と出雲は遠いけど、昔はもっと遠くて情報も遅かったことを思えば、天皇の権威が届くのはこれくらいの範囲だったのかもしれないね。