Nicotto Town



1950年代の海外のファッションが好きである。


此れは父のしゅみであり、母の趣味でも在った。
母の影響で作業着の様な服で何時も居る父がたまに
クラーク・ゲーブルの様な服を着て写真に写っているのが在る。

イタリアの有名な帽子屋さんが経営危機に陥っている様だ。

あの母が父にかぶせたような帽子がニュースで出てきた。

子供から見ても母はおしゃれで在った。

海外のファッション誌が届いて母は其れを持って
カナリヤに記事から選んで其の雑誌に出ている様な服をオーダーメイドをしていた。

近所にオンリー(決められた米軍相手の女性)が住んで居て
彼女の服もおしゃれで在った。

街で見かける米兵にべったり寄り添ったパンパン達もおしゃれであった。

私は母が履きこなすのをあきらめたダイアナの靴を
子供心に私なら履きこなすと誓っていた。

無理でも何度も挑戦して「靴づれとの闘い」に敗れていた。

其れでもなんどかピンヒールの靴で無謀な悪路を歩いて
心の中でキタラが不便な所に在る事を恨んだ。

洋画の中にあこがれのファッションが在った。

アガサ・クリスティーを始め有名なミスティードラマの中に
当時の服が出てくる。

ココ・シャネルより母はイブ・サンローラン派で在った様に思う。

でも中年になってウエストとバストとヒップが同じに成ると
総てを其れは諦めなければならない。

現実がしまら~にして、其れさえもサイズの関係で無理になって思う。

着物は何と体型を隠してくれて豪華な物だったかと。

母が私に持たせてくれた訪問着も小紋も留袖も
何と当時はMサイズだったのに今はLでも油断すると大変な事になる。

全部を目いっぱいあまり切れが無くなるほどのサイズの着物を作り直さざる
得なくなる。

予算の関係で親が選んでくれたような「これならどうだ!」と言う様な反物は
選べない。

其れさえもなんとLの草履が履いていても心もとない。

情けなくなって家に帰ってから帯を解きながら唖然としてしまった。

名古屋帯も肝心の模様が横に来る。
後もやっと何とか上の方に在る。

気に行ったほとんどを嫁に着物は何も持って来ないでと言って
渡してしまった。

大好きな祖母が来ていた鮫小紋も虫干しをしなかったので
カビだらけになっていたが何と祖母があれだけ来た留袖が
余程しまう時にちゃんと手入れをしてしまっていたのか
状態が良かった。

一度もきなかった自分のきものでさえ、仕付け糸が付いたままなのに
カビがぽつぽつとできていたのに。

昔の人は凄いと思う。




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