Nicotto Town



自作7月 天の河 「門出」2/2

「ほうほう。岩窟の寺院出身の者をご存じかね?」

「はい。約一名だけですけれど。アスパシオン、という名の人を」

「……ぐへぶ!」

 えっ?! だらだら兄弟子がいきなり噴いた? やだちょっと、背中にしぶきがかかったわよ?

「おお……! わしのハヤトを知っておるのかね、金髪のお嬢さん!」

 ええっ?! 白髭の店主が目をキラキラさせて手を握ってきた?

 ハヤト。それってたしか、ウサギが切れて怒りモードになると、あのおじさんに口走る名前だわ。

 つまり本名。もしかしてこの人たち、ウサギの奥さん――の中にいるおじさんの知り合いなの?!

「ならば大盤振る舞いじゃ。全フレーバーの綿アメを作ってしんぜよう」

「あの。あなた方は一体……」

「ああ、わしか? わしはハヤトのお師匠さんじゃった者じゃ。そこのテーブルに突っ伏しておるのはハヤトの兄弟子。エリクじゃよ」

「師匠、俺アステリオンっす! ほらこれ着てますからっ。黒き衣っ」

 なるほど、導師名がアステリオンなのね。

「おぉ、犬耳ふさふさの美人さんだなぁ。俺ここの副店長っす。よろしくな」

「副店長じゃと? 開店以来時々ここに遊びに来とるが、おぬし、一度もまともに手伝ってくれたことはないじゃろう」

「だって師匠、給料払う気全然ないじゃないっすかっ。タダ働きは嫌でーす。ま、かっわいいギルガメッシュニルニルヴァーナのご飯だけは俺が作ってやるけどな」


 時々? ではこの方は、普段はここにはいないのね。


「ニルニルヴァーナって?」

「下界で飼ってたカメだよ。使い魔にしてたんだ。ああ、ハヤトが下界で元気なのはよーく知ってるから、近況報告なんていらないぜ? 年に二度、お中元とお歳暮送ってるからな」

「おちゅうげ……ああ、ついこの前、のし付きで塔に送りつけられてきた増殖黄金キノコ! あれあなたが送ったんですね?」

「おうよ。うまかったか?」

「あ……えっと、届くなりアスパシオンさんが焼き捨てて、ウサギとハニーがもったいないって文句を……あ」

「んあああ?! なーんーだーとぉおおおお! あんのクソハヤトが! 十二になってもおねしょしてたくせに!!」

 どうしよう、口が滑ってしまったかも。アステリオンさんが、ぷがぷがおかんむりだわ。

「今度会ったらコロス! いや、今すぐあいつのとこに押しかけて問い詰めてくるわ! じゃあな!」

 ああ、なんて勢い。あっというまに黒き衣を翻して出て行ってしまった。

 でもここは天上……天河の一歩手前のはずなのに。あの人はどうやって、ここと下界と自由に行き来しているの? 

「兄弟子さんは生きている人? それとも、死んでいる人? どちらなんですか?」

「まあまあ、そんなに目を白黒させんで、まずは落ち着きなされ」 

 白髭の店主は雲をひと練りふた練り。みるみる雲がほのかな紅色になっていく。

「雲のソーセージはどうかね? 見たところ、お菓子より肉が好きそうじゃとみたんじゃが」

 その通りよ。見ての通り人間に似せてはいるけれど、私の本性は狼だから。

 あら……結構おいしいわね。もう少し弾力があるとよいけれど。

「ほほ、もとはふわふわの雲じゃからのう。固くするのは、実はかなり難しいんじゃ。さてはて、それを口に入れても、まだそわそわしておるのう。お嬢さんは、下界に未練があるのかの?」

 そうね……戻れるものなら戻りたいわ。

 ハニーはウサギをせっついて、私を蘇らせようとするでしょうけど、そうするのは至難でしょうね。

 まだ幼い娘のことは、とても心配だわ。だってまだ子どもなんだもの。

 それに……

 もし叶うならもう一度、ハニーを抱きしめたいわ……

「死んでなお、天河に昇らないでいる者はけっこうおる。わしも、そしてあのエリクもそうじゃ。エリクは家族思いでの、どうにも妻子から離れられん」

 会いに行きたいわ。

 会いに……

 ああ、どうやったら、あの兄弟子さんのように行き来できるの?

「おぬしも神獣の類のようじゃから可能と思うがの。しかしそうするには、生きとし生けるものにとって、一番大事なものを捨てなければならん」

「一番、大事なもの……?」

「うむ。すなわち、輪廻をすることじゃよ」

 私の手から雲のソーセージがゆっくり、カウンターに落ちた。

「つまりそれは……」

 天河に昇らず。忘却の河に入らず。生まれ変わらない者になるということは。

「メニスが作る不死の魔人と、同じようなものになるということ?」

「さよう。おぬしは時の|軛《くびき》から放たれ、永遠にこのままでいることになる。変容を望んでも、決して変われない。何かを忘れて消し去りたいと思っても、決して消すことも、やり直すこともできない」

 店主が私をみつめてきた。

 柔らかなまなざしの中に、命の|理《ことわり》を破ることへの無情さと恐ろしさをひそめて。

「おぬしは、受け入れられるかの? このまま永遠に、今のままの自分でいることを」


 その愛は本物か。

 

 そう聞かれた気がして、私は一瞬だけ躊躇した。

 星が瞬くほんのわずかの、目をつぶるひまもないほどの間だけ。

 その瞬間に、私は考えた。

 私は神獣。永遠に。それでよいの? 

 赤毛のあの人のためには、もっと別のものに生まれ変わった方がよいのではないの? 

 来世で人間同士とか、立派な狼同士とか、あの人との子どもを産めるような者にならなくてよいの?

 ……

 ……

 ……

 ああそれは、本当にほんの一瞬だったけれど。

 時が止まったのではないかと思うほど、永い永い瞬間だった。

「――いいわ。私はあの人のために、神獣にまでなったのだもの」

 

 けれども私は答えていた。白髭の店主をまっすぐ見つめて。

 だって聞きたくなかったの。

 かわいい娘の泣き声を。なにより、あの人の哭き声を。

 家族の哀しみを聞かなくてよいのなら。こぼれる涙を見なくてすむのなら。


 どうなってもいい――


 だから私は願ったの。心の中で、偉大なお母様に許しを乞いながら。

「大丈夫。受け入れられるわ。だからどうか教えて。そういう者になる方法を」

「そうか……では……ゆっくりとっくり、始めようかの」

 じっと私を見つめ返していた店主は、私の前に雲のジョッキを置いた。

「まずは、永久への門出に乾杯を」

 口に含んだその雲は、とても苦くてびりびりしていて。

 あまりのまずさに怯んだ私の目に、涙が浮かんだ。

 ほろりと、たったひと粒。


―― 門出 了――


アバター
2018/08/05 21:47
決断したんですね。
アバター
2018/08/04 19:16
神獣さん、強い愛ですね
それにしても雲のスイーツって
どんな一品でしょう
いろいろ想像しています
アバター
2018/08/01 18:14
ここまで惚れられたら男料理……男冥利につきるというもの
転生して子が産めないのはきつですが
養女がいるからそのあたりはなんとか




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