保育園があっても意味がない?
- カテゴリ:人生
- 2018/08/06 17:13:02
「(日本人)」橘玲著
待機児童はいつまで経ってもなくならず、保育園をつくろうとすれば地元の住民に反対される。そして、保育士は圧倒的にたりない。
”日本人の人間関係は”場”に依存するので、結婚して家庭に入るとそれまでの人間関係が切れてしまう。結婚しても働きつづける女性が増えたのは、専業主婦が孤独だからだ。”
外国では会社は収入を得るための場所だが、日本人は会社こそが帰属するべき”イエ”となっている。だから、職業を聞くと会社員とか会社名を答えることが多い。外国のように、営業とか経理とか総務といった職種を答えることはあまりない。
しかし、専業主婦になってしまうと会社以外の帰属先が家庭になってしまう。夫は会社で働き続けるため主婦はひとりで家庭という"イエ”を形成する。つまり、孤独な作業となる。個人主義が突出しているとはいえ、完全な孤独が好きなわけではないから、働き続けることで帰属する"イエ”を確保することになる。
ところが、子どもができると事情が変わってくる。
”だが子どもが生まれると、彼女たちの生活は一変する。”公園デビュー”から自然発生的に、子どもを中心とした母親同士のコミュニティがつくられるからだ。これがいわゆる”ママ友”で、そのコミュニティは子どもが中学校を卒業する頃まで維持され、彼女たちの生活の中心となっていく。
日本で子どものいる主婦の就業率が低いのは、国民年金の保険料を免除する第三号被保険者制度など、働かないことが得になる制度があるからだといわれる。これはもちろん主婦の終了意欲に大きな影響を与えているだろうが、それでもフルタイムで正社員として働けば「(社会保険料を負担しなくていい)一三〇万円の壁」の範囲でパートタイムの仕事につくより家計は楽になるはずだ。
一九五〇年代のアメリカでは専業主婦が当然とされていたが、いまでは夫婦共働きを前提とする社会にすっかり変わってしまった。一人で稼ぐよりも二人で働いたほうがゆたかになれるのだから、経済合理性で考えればこれは自然な変化だ。これに対して日本では、保育施設などの環境をいくら改善しても、子どものいる女性たちはなかなか「会社員」になろうとしない。
これはおそらく、ひとはふたつの共同体に同時に所属することができないからだろう。彼女たちはすでにママ友コミュニティという”イエ”の一員になっている。フルタイムで働くということは、その”イエ”を捨てて会社という別の”イエ”に移ることだ。
しかし多くの母親にとって、これはあまり魅力的な選択ではない。会社という”イエ”は、子どもを排除してしまうからだ。だったらすこしくらい家計が苦しくても、子どもといっしょにいられるコミュニティのほうが快適だと思うのは当然だ。
このようにして、夫が会社コミュニティに、妻がママ友コミュニティに所属することで、日本的な二世帯同居が完成する。このふたつのコミュニティは混じり合うことがなく、日本の多くのサラリーマン家庭では、夫と妻(子ども)はまったく無関係な人生を生きているのだ。”
コミュニティの問題が日本人をしばっているとしたら、この概念にそった政策がないとコミュニティは破壊され続けるだけになるのかもね。
コメントありがとうござます^^
アメリカやヨーロッパではコミュニティが家族なので、働く場所はお金を稼ぐところで割り切れるのですが、日本人はそうじゃないとしたら、根本的に考え直さないとうまくいかないですよね。
といっても、調査データはきちんと作れないのでしょうね。
これから結婚する前(した後)の女性の頭の中は想像つかないですね。。(働く予定か、孤独化どうか、満足しているかどうかなど)調査データが無いとなんともいえない話ですが。