吉原ってどんなところ?
- カテゴリ:勉強
- 2018/10/02 16:12:06
吉原は江戸時代に幕府が許可した遊郭で、髷や着物、帯などのファッション、歌舞伎、浄瑠璃などの芝居、浮世絵などの文化を発信した。粋と呼ばれる男性がもてはやされる一方で、年季奉公する女性は年季が明けるか、身請けされるか、死んで浄閑寺に投げ込まれるかしか自由になる方法はなかった。と言われている。
高田郁「みをつくし料理帖」では、大坂の大水で女衒に騙されて江戸に連れてこられた「旭日昇天」の野枝ちゃんが「雲外蒼天」の澪ちゃんの料理によって身請けされて大坂へ戻って店を再興するというお話だが、女性の筆でメインの話が料理であっても吉原の世界は悲惨だ。
歌舞伎や浄瑠璃の世界で人気だったのは心中ものだ。男女がお互いに誠実な愛を示す心中はお互いの命を賭けた愛だったが、失敗は消して許されなかった。なぜなら、幕府が厳しく禁止していたからだ。
「白山の頻闇」 高田崇史著によると。
"「心中した男女の遺体は葬式を行うことも許されないほど、幕府がこの行為を固く禁じていたからだ。そのために、心中未遂で生き残ってしまった人間は、両手を背中で縛られ、罪状が墨書きされた立て札と友に、日本橋のたもとに三日間晒された。しかもその三日間、完全に無抵抗状態の彼らは、乱暴され放題だったといいう」”
そして、男は当時最下層の身分だった非人の手下にされ、女は年季明けなしの遊女として吉原に送り込まれた。というくらい悲惨だった。
子どもの頃は心中がなんでこんなに酷く罰せられるのかわからなかったけれど、
"「全てを捨てて、つまり身分をも乗り越えて愛し合おうなどという行為を見逃してしまうと、江戸幕府の敷いていた、階級・身分制度が崩壊してしまう。だから、さっきの刑場の獄門台に、生首を並べてさらすのと同様に、見せしめの意味でも厳罰に処した」"
と聞けばなるほどって思う。権力者はいつの世でも自分たちの決まりが破られるのを嫌うからだ。
ちなみに、遊女がいてぼったくりの権化のような遊郭だけど、ぼったくりをやっている経営者が処刑されたりと粋な商売をするように自治がされていたみたいだよ。
刑務所って考えはなくて、軽い刑だと寄場送りで今で言う河川工事をやらせたり(土方さんですね)、重くなると遠島で佐渡金山に送り込まれたりでした。寄場送りは更生させるために手に職をつける意味もあったみたいです。
遊郭がなくなったのは明治になってからなので、ホントに子どもの頃に行ったとかいう人なら存命かもしれませんね。
江戸の初期の頃にできた遊郭なので為政者の思惑はいろいろ入っているでしょうね。
飴と鞭が通じる時代でしたから。。
在所の訛りとか武家言葉とか隠さなければならないものはたくさんあったでしょうね。
江戸の男達は、吉原の女性が家族を救うために自分を犠牲にして働いていることをよく知っていたから、吉原の女性を尊敬していたそうです。
だったんですけど女性視点から見ると話が全く変わってくるんですね。
吉原は1956年に売春禁止法で廃止されたものなので今の世代のひいひいひいおじいさんくらいは行ったことがあるかも。
江戸時代の罰ってユニークなものをよく聞きます。死体はりつけ、身分降格、放火魔には火あぶり死刑、犯罪者の額に「犬」のいれずみ、、、刑務所ってなかったんですかね
あれは、地方から売られてきて、なまりが酷い女たちの言葉を
カモフラージュするためだったとか・・・。