方言が通じる人とは常識が通じるってこと?
- カテゴリ:勉強
- 2018/10/26 15:50:43
「日本語を反省してみませんか」金田一春彦著
”石川県の金沢の方へ行くと、太っている子供を、「この子はうまそうやな」と言うと教えられた。これではまるで、知らない人が聞いたら人食い人種のようだと思うだろう。
一番私が驚いたのは、三重県の尾鷲地方の言葉である。尾鷲から少し山奥に入ったところに北輪内の三木里というところがある。ここでは奇抜なことに形容詞を何でも反対に言う。例えば魚の大きいのが釣れると「ちっこい魚やなあ」と言い、小さい魚が釣れると「大きな魚やなあ」と反対に言う。それは方言集にもちゃんと書いてある。
そんなところが本当にあるものかと半信半疑でいたが、これが近畿から四国に行くとしばしばそういう言い方が使われているのである。高知県の土居重俊氏という方言学者の調査によると、高知県の吉野川の一番上流の方へ行くと、やはりそういう村があるそうだ。例えば値段が高いことを「安い」と言う。安いことを「高い」と言う。そのほか、きれいなことを「きたない」と言ったり全部反対に言う。いつも反対に言うのか、それとも通じると思った相手だけにわざと反対に言うのか、そこはよく調査しなければわからないが、しかしそういったことが『言語生活』という雑誌にちゃんと報告されている。そんなところに初めて行った人は、ただただ面食らうばかりだろう”
方言っていうのは身内の言葉だ。方言が通じる人たちは仲間であって、通じないものは余所者ってなる。仲間うちのことは世間であって、常識が通じる相手だ。
常識っていうのはモラルではない。たとえば、お味噌汁の味噌が白なのも、赤なのも、麦なのも、いつも食べている人たちにとっては常識であって、白味噌しか食べたことがない人に赤だしの味噌汁を出したら、なんて常識外れのものを出すのかって怒り出す・
つまり、世間で認識している=すべての世界ではない。ものが常識であって世間一般のものではないってことなんだね。
地元で使っている方言なので、通じないと地元出身でないってわかりますね。ただ、意識的に余所者?と思って使うことはないですし、余所者を排除することもないですね。
海外でも日本でも同じですが、観光客にはやさしいけれど引っ越してくるとルールを守るかどうか見張っているってことが多くありますね。仲間うちの和が乱されるのは嫌なのかも。
英語でもソーキャズムという現象として存在しますね(相手にとって明らかに嘘と分かることを冗談交じりにいうユーモア)汚いスラングも同じような特性を持ってる気がします。(仲間うちだけで使ってよそ者と仲間を区別するという点で)
反対言葉は親しい間でしか言わないはずです。
地元が愛媛なので、反対言葉はよく聞きました。
釣りをしていて大きな魚を釣ったら「こんまいの~」といい、小さな雑魚だと「大物じゃの、酒がうまかろの」って感じでしたよ。
私がよそ者だったからか、反対言葉を聞くことは一度もありませんでした。
尾鷲の花火を見に行った時に、三木里の人たちも沢山見学に来ていましたが、
「綺麗」な花火を「汚い」と表現する人はいなかったので、
う~~~ん、今も反対語は使われているのかしら?と思ってしまいました。