才能ってなあに?
- カテゴリ:人生
- 2018/10/29 15:34:49
自分がどこまで行けるか、そのためには何をしたらよいのか。まだだれもやったことがあるのを見たことがない、実現されたものを見たことがない、その意味で環境の中にないにもかかわらす、彼らにはそういうことが何となく見えている。そしてそこにたどり着くために、強いストレスをかけて努力をし(本人は努力と思っていないことも多いのですが)、さまざまなアイデアと工夫を凝らし、それを成し遂げてしまう。
野球選手のイチローもおそらくそうでしょう。よい成績を出すために必要な能力がどういうものか彼の中では明確に見えており、それを実現するためにどういうトレーニングや栄養管理、日々の行動管理をする必要があるのかがわかっているのではないでしょうか。モーツァルトやアインシュタインもそうだったのではないかと思います。
私の高校時代の同級生に、スーパーコンピュータ「京」の開発責任者として知られる井上愛一郎氏がいます。彼が新入社員だった頃、冗談交じりに「ぼくが使っているパソコンを設計したのは君かい?」と尋ねたことがありました。彼は「ばかをいえ。僕はあんなまぬけな演算装置より、もっとずっと美しいものを考えているんだ」と答えました。自信家の彼らしい答えだと思いましたが、その後、彼は本当に「京」を完成させてしまいます。
「京」の完成後、井上氏に話を聞いたところ、「僕は未来の記憶を持っている」とのたまい、「京」ですら彼が考えているコンピュータを実現する通過点にすぎず、お金や技術的な制約があるからあの程度だというのです。彼には「コンピュータはこうなるのが当たり前」というビジョンが見えているのですが、他の人にはそれがまったく見えていません。
科学的な表現とはほど遠いのですが、遺伝的に突出した才能がある人は、他人が外から気づく前に自分の中で「見えている」のだと思います。
天才と呼ばれるような人でなくとも、自分にはわかる、できるという感覚を持ったことがある人は多いでしょう。私自身、大学院に進んだとき、「自分は遺伝のことを解明できる」という感覚を持っていました。ほとんどの学生や教授は遺伝の影響なんてものは解明できるわけがないからテーマにするのはやめておけというのですが、私にはどうしてそんなことをいうのだろうと不思議で仕方ありませんでした。
自分にはこれができる、これが好きだ、逆にこれは向いていないからやめておけ。そうした内側から沸き上がってくる感覚というのは、自分が生まれ持っている遺伝をもとに、環境が出会ったときに生じるのだと私は考えています。そういう内なる感覚に導かれて、人は何かに専念し、そこにリソースを集中的に投入することで才能が発現していくのではないでしょうか。”
退院されたのですね。
病院食がおいしくないから退院できるってことは元気になりつつあるってことでよかったです^^
元気になるまでゆっくり養生してください^^
ニコタはのんびりできるところだから、ゆっくりしてくださいね^^
ご無沙汰しております
しばらく手術で入院してて
今日退院になりました
本当は来週退院予定だったけど
病院食はおいしくないので
来週を待たず家にもどる許可を頂いて
かえってきました
にこっとはしばらく、
のんびりしますね。
医者になるための環境に置かれるからでしょうね。頭のよさは遺伝っていいますから。
政治家は直系のほうがまとまりやすいのかもですよ、後援会。
努力するって才能だって言われますからね。
初めて行くところでも東京スカイツリーぐらい高くて遠くから見えていれば、迷わず歩き続けられるのと一緒ですね。
努力して進んでいる途中で挫折しても、何が足りないかわかればくじけないですからね。
不確定であやふやな未来を信じて努力するのは不安ですが、
見えている未来に向かって努力するなら、途中で何があっても、続けていけるんでしょうね。