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言葉は変化するものだけれどあまりにも

「カネを積まれても使いたくない日本語」内館牧子著 朝日新聞出版

”中でも印象的だったのが、週刊朝日の元編集長川村二郎からのはがきだ。許可を得て紹介する。
<国語学者、大野晋さんは諸悪の根源は国語力の低下、国語教育の軽視と断じ、「戦争に負けるということはこういうことかもしれないな。頭の中を植民地にされたんだよ」と言われましたが、正しい気がします。政治家にも記者にも、日本語が不自由なのがふえました。>
 この「頭の中を植民地にされた」の一行はすさまじい。”

今の政治家は与党も野党も関係なく、問題発言をすると「私の発言が誤解を」と言って訂正する。つまり、誤解をされるような言い方しかできないわけだ。国語を勉強していないからね。今まではこういうレベルの国語力の人がトップへ行くことすら難しかったけれども、戦争に負けて人材がいなくなってしまった。

内舘さんはある時期から一気に広まった”かな”が不快だという。
自分の意見でもあきらかな事実でも”かな”をつけてあいまいにするからだ、言質を取られないためにぼかす公務員のようだが。

”福島第一原発の事故で、さかんに冷却していることに対し、東電の社員は、
「温度が下がって落ちついてくれればいいのかなと思う」
 あいた口がふさがらない。「落ちついてほしい」というのは、全国民が心から願い、祈る思いでいることだ。それに対し、「かな」だと。自分の立場も国の状況も考えられないのだから、こうなると頭が悪いとしか思えない。”

”もはや、「かな」は口癖になっているのかもしれない。とにかく断定したくないあまり、きつく見られたくないあまり、言質を取られたくないあまり、どうでもいいことにも「かな」を反射的につけているのかもしれない。「(笑)」と書くのもそうだし、いつから日本人はこんなに腰抜けになったのだろう。”

断定しないことでけんかになるのだってこともわかってほしい。責任を取りたくないならお金をもらって仕事をしなければいい。お金をもらって仕事をしていることについてくらいきちんと断言したらどうなのだろう。

わからないことであったとしても、子供みたいに「かな」ってつけるとホントに馬鹿なのかって思うよ。

ちなみに、この本のすばらしいところは、なんでもかんでも「頂く」ってつける過剰なへりくだりよりも「ら抜き」を前に持ってきているところ。

「ら抜き」って方言で(しょっぱいも東京方言)で理解できない人がいるってことも忘れないで。

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2018/11/14 15:08
>みくあさん
インターネット上で誰でも意見が言えるようになってから、専門家が断言したことがあとで間違っていたときに炎上するほど攻撃されて酷い目にあうことがありますね。断定はしていないって逃げ道を作りたくなる気持ちもわかります。
明らかなミスならともかく、未来の予想なんて誰にもできないのにみんな他人には厳しいですね。。。
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2018/11/13 22:41
私も無意識のうちに「かな」と文章につけてしまいます。
でも不思議と話している時には全く使わないです。
「トラブルを避けたい」、という気持ちが働いているのかと思います。









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