Nicotto Town



氷の女王 3


「え? 代わりにお師さまの世話係になってくれ? どうして?」 

 突然図書館に来たサリスに、一番弟子のラデルは面くらった。

 金髪の子は、朝餉のあと必ず書物を漁る兄弟子のもとへ、逃げ込んだのだった。

「僕には無理です。見えないし、予知もできませんから」

「サリス? 透視できなくたって、何も問題は――」

「だめです! ナツメヤシが、見えないと!」

「は?」

「赤箱を、完璧に扱えないと、いけません!」  

「え? ナツメヤシを?? あつか……???」 

 困惑するラデルの背後の書棚からひょこりと、豹の頭をかぶった子が顔をだした。

「なんだおまえ、お師さまの世話、したくないのか? じゃあ俺がやる♪」 

「ジェリはだめです! 予知も透視もできないでしょう?」   

「は? 何言ってんの? おまえがくるまで、俺がお師さまのお給仕してたんだぞ。衣にひのしかけて、靴はぴかぴかにみがいて。夜は、寝床をあっためて――」 

「でも、見えなきゃだめです! というか、豹をかぶった野蛮な姿で、お師さまに近づかないでください!」

「はぁ?!」 

 豹の頭のどこが野蛮なんだと、ジェリはぷんぷん怒りだした。

「豹頭は、王族しかかぶれないんだぞ!?」

「でも恥ずかしいです! この……野蛮人!」

「黙れ白ネズミ!」

 ジェリは猛獣のように犬歯をむき出しにして、つかみかかってきた。

 サリスは床に倒されたものの、思い切り足を蹴って応戦した。

 組んずほぐれつ、二人はごろごろ転がったけれど。

「止めろ! 本棚が倒れる! 暴れるな!」

 ラデルが雷まとう声とげんこつを落として、二人を引き離した。

「サリス、君は南国の文化をちゃんと知るべきだ。ジェリも、北方人の気質を本で調べるといい。二人とも、文化の違いをよく学んで、お互いを尊重しないといけないよ」

 公正なラデルは、二人にそれぞれ読むべき本を押しつけると。大丈夫だと、サリスを励ましてきた。

「魔力のないジェリだって、ちゃんとお師さまのお世話をしてた。多少失敗したって、お師さまは笑って許してくださるよ」

「失敗なんて、できません!」

 なにごとも完璧に、卒なく。   

 でないと手をびしりと、鞭で叩かれる。こわい家庭教師に、毎日そうやってしつけられてきた。

 ここにはこわい人はいない。お師さまは、とても優しいけれど――


「今日は、共同部屋で寝させてください。どうか」


 その日の夕餉の給仕をなんとかこなしたサリスは、ふるえる声で師に願った。師の床をあたためるため、世話係の弟子は、師と一緒に眠るのだが。師はよいだろうとうなずいて許してくれた。

 寺院に来て、半年。

 弟子たちの部屋で寝るのは、ほぼ初めてで。サリスは、ずらっと並ぶ寝台の固さに驚きながら、頭から毛布をひっかぶった。

(ふさわしくない。僕は、お師さまにはふさわしくない。

 頭を撫でられる資格なんて、ない――)



 翌朝。のろのろ起きだしたサリスが、魚をとりに船着き場へいくと。

 早起きの弟子たちが湖を指さして騒いでいた。

 何ごとかと思えば。


「えっ?! うそ……氷が……!」


 湖面には、さざなみがなかった。

 朝日に照らされる湖は一面、まっしろ。きんきんにぶあつく、すっかり固まっていた。

「シルフィリエ……! 氷の女王が降りてきた?! け、結界は?!」

 まるで鏡のようにきらきら輝く氷の湖面を、サリスは呆然と眺め渡した。

 こおおと、こごえる凍気が、銀盤を走り抜けている――

「うそ……どうして?!」

 お師さまやほかの導師さまたちが、毎日風編みをしているのに。

 決して、凍りつかないようにしているはずなのに。  

 寺院は、上を下への大騒ぎ。

 蒼き衣の弟子たちが、わらわら岸辺に出てきた。

 黒き衣の導師たちは氷の息吹を払おうと、岩の舞台に集まり、朝の風編みを始めたけれど。氷の女王はぜんぜんまったく、立ち去る気配をみせなかった。

「すっかり凍ってしまったな」

 朝の給仕のとき、師は他の導師たち同様、とても困った様子でいた。 

 弟子たちが集まる大食堂も、わいわいがやがや。さっそく情報が飛び交った。

「ねえねえ、長老さまたちが、湖を透視したらしいよ。湖の中央に、寒気の塊が渦巻いてるんだって」

「すごい吹雪が吹き荒れてて、結界と同じ効力を出してるらしいな」

「それでお師さまたちは、全然焦ってないのか」


 朝餉が終わると、サリスはいつものように巻物をいっぱいかかえて、円堂にむかった。しかしその日、講義はなかった。

「湖に降りた寒気は、今日いっぱいは動かぬようだ。せっかくだから、いつもとは違うことをするといい」

 苦笑しながら、師は弟子たちそれぞれに、真っ赤な包み紙にくるまれた「贈り物」を手渡した。

「お師さまこれ、すっげえ!」 

 豹をかぶったジェリが興奮した。エルクとレイスがはしゃぎながら靴をぬいで、もらったものをさっそくはいた。呆然と「贈り物」を抱えるサリスは、ぽんとラデルに肩を叩かれた。

「よかったね。望みがかなって」

「え……?!」

「さて、俺はジェリと一緒に、ペンギン歩きで練習だな。寺院に来る前は、スケート靴なんて持ってなかったから。滑って遊ぶのは初めてだよ」

「え、あの……」  

「よければ、教えてくれると嬉しい。スケート、得意なんだろ?」

 腕の中のスケート靴をながめおろして、サリスはとまどった。

 

 のぞみ?

 いいや、何かを願うなんて。そんなひまは……

 ああでも。シルフィリエ。

 きみにまた会えて、うれしい――

 

 その日、セイリエンの弟子たちは思いっきり、湖上で遊んだ。

 他の導師の弟子たちもたくさん繰り出してて、しゅるしゅる滑っていたけれど。

 銀の刃輝くスケート靴をもらったのは、セイリエンの子たちだけだった。

 子どもだけでなく、黒き衣の大人たちも楽しんだ。

 優雅に氷の上で踊り唄い。氷に穴をあけて、小さな魚をたくさん釣り上げ。そうして韻律の技で、吹き荒れる風を加工した。叩きつけてくる風を吹雪ごと丸め、龍にしたり。獅子にしたり。真っ白な風の幻獣たちは、きゃあきゃあ逃げる子どもたちを追いかけた。

 調理当番の子たちは岸辺に天幕をはり、炊き出しをした。とろりとあつい豆汁が、外で遊ぶ者たちみんなにふるまわれた。

「サリス速い!」

 サリスは、同じ北五州出身のエルクやレイスと、何度も何度も競争した。くるくる回って跳ぶ技も、みんなの前で披露した。それから、何度もすっころぶジェリに手を差し伸べて、滑り方を教えてやった。

「すっげえ! サリスすっげえ!」

「うるさいです。いちいち驚嘆しないでください」

「でもすっげえ! あっというまに滑れるようになった、ラデル兄さまもすっげえけど!」 

「そうですね。さすがです。あの……南国についての本を少し、読みました。あなたが豹の頭を被るのは、豹頭の神であった先祖の加護を得るためなのですね」

「うん。俺の先祖って、神様なんだよな」

「しかし豹頭をそのままかぶらずとも、加護の力を引き出せると思います。豹の瞳を首飾りなどに加工してはどうでしょうか? 瞳には、魂が宿るといいますから」

「首飾り? ほんとにそれでいけるのか?」

「ええ、理論上は。実験をして、よく検証してみます」

「じゃあ俺も、その実験手伝ってやるよ」

 とっぷり日が暮れるまで、サリスは思う存分、湖上を走った。  

 凍える女王の息吹を、背に受けながら。

 


アバター
2018/11/17 19:45
実験の結果が気に成りますね。
アバター
2018/11/17 12:51
ひさびさに読めて嬉しいな、みうみ氏の文




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