江戸時代の名君って誰?
- カテゴリ:勉強
- 2018/11/28 15:42:57
江戸時代の有名な政治家って誰の名前をあげるでしょうか?
私は東北に住んでいるから、保科正之、上杉治憲、松平定信という名前がすぐに浮かびます。
教科書では悪く書かれる田村意次も、暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗も彼のライバルの徳川宗春も有名な政治家であることは間違いないですね。
といっても善政か悪政かというと判断が分かれます。善政をしようとして結果的に悪政になることもあります。
上杉治憲は出羽国米沢藩十五万石。
松平定信は陸奥国白河藩十一万石。
ともに地方の寒村の領地を治める大名で、上杉治憲は外様、松平定信は親藩扱いだった。
「逆説の日本史15近世改革編」井沢元彦著によると。
冷害が東北地方を直撃した天明の大飢饉でふたりの名君はともに領民のために尽力する。松平定信は奥州各藩が数多くの餓死者を出す中でひとりも犠牲者を出さなかった。これにはからくりがある。
”定信は「凶作」の危機を「物資回送」で切り抜けたのである。「物資回送」とは何か? それは大坂の米市場に人を派し、米を買い占めて自領に運んだということなのである。
もちろん凶作で米自体が少ないのだから、自領の民を救うには止むを得ない措置といえるかもしれない。父親や母親は自分の子供のために動く。大飢饉ならば、とりあえず自分の子供の食糧を確保しようとし、他の子供のことは考えないだろう。だから、白河藩領の人々にとっては定信は、あくまで慈愛あふれる親のようなものだ。少なくとも何もしない政治家よりははるかにマシである。だが、それでも「名君か?」と聞かれれば私は否定する。「日本」を見ていないからである。
ちなみに、この時のなりふり構わぬ買い占めが米価をつり上げ、結果的に東北の他藩が米を十分に確保することが出来ず、それがさらに大量の餓死を招いたする見解すらある。この辺は史料不足で詳しく検証はできないのだが、可能性としては大いにある。
では、前出の上杉鷹山はこの時どうしたかといえば、あらかじめ飢饉を予測し米を材料とした菓子や酒などの製造を禁止した。そして本当に飢饉がやって来た時、鷹山は飢饉に備えて貯えておいた米などの穀物四万八千俵を放出した。もちろん、鷹山も外部から米を「輸入」することもやっている。しかし、それは凶作の影響を受けていない地方から買い取ったり、借り入れたりしたもので、市場で買い占めをしたわけではない。”
今の政治にあてはめればどちらが名君かはいうまでもないが、儒教に凝り固まった当時の人々は徳川親藩の松平定信こそが田沼政治の改革にうってつけとして担ぐのだ。
彼のせいで重農主義から商業主義への転換は遅れるのだけど。それはまた別の話。
天皇家は不思議な系統で、外国だと乗っ取られるのですが、日本だと藤原氏のように天皇家を利用してってことが多くて、ずっと続いているのですよね。
歴史をみればこれからのことがわかるってくらい人間の歴史はいろいろ含蓄が詰まっていますね^^
テーマから外れても大丈夫^^
どこで何がひっくり返るか分からない・・いつか移民が多くなった時。今の皇室も。日本の歴史をも尊重して守ってくれるのか とか思って居ます すみません~江戸時代の名君の話なのを ずいぶん横道それてます失礼しました
日本は同じ事でも立場が違うと見方が変わってしまって、100%悪いって思っていることでも違う人は間違ってないよねって言うことも多いし。
江戸時代って政権担当は武家だったけれど、軍事下だから特別に委譲されていただけで、ずっと朝廷に主権があったというのが歴史上の理解です。だから、徳川は死に体になったときに抵抗しなかったのかもしれませんね。
でも江戸城の無血開城を思うと時の将軍を思い出しましてw
無血開城があったらばこそ 他国の侵略を防げたし
次のステップの明治維新に繋がったと思えてます。
その当時の自分たちの信念で戦って死んでいった人々も英雄と言えば英雄ですよね
伊勢神宮にはそういう時代に亡くなった人達も祀られてましたね
それか 死に体の政府に対して 西郷どんの城攻めを止めた結果なのかな~
家康はたしかに名君ですね。
慶喜は鳥羽伏見の戦いで兵には引くことを認めない命令を出しておいて大坂城から江戸へ逃げ帰ったり、新政府軍にひたすら恭順で小栗忠順の逆転の一手も退け、静岡で蟄居後は旧家臣が困窮していても無関心で、自分が一番大事って思える感じが出ていてとてもとても名君とは言えないのでは?って思います。
徳川幕府最後 閉めた将軍 徳川 慶喜 でしょ。。。
無血開城に至った経路とか考えると、、、お思いますがw
島津斉彬も名君って言われてますね^^
西郷隆盛は正しいと思ったことを曲げなくて流されたりしましたけどね。
おそらく名君は~ではなくて名将はだと思います。
名君は~戦争をしないで勝つがずっと昔から言われていることで、孫子の兵法でも戦わずして勝つのがいいと割れています。
いくら兵力があっても飢えてしまっては士気が落ちてしまって勝てるものも勝てなくなりますね。
戦時中じゃないから、このお話とは直には関係ないのですが、食料は大事ですね。
今生き延びなければ教訓にして次に生かすこともできないですからね。
失敗はいつだって成功の母なのですが、権力者には歴史を教訓にしない人も多くてむずかしいですね。
江戸時代は商業が発達した時代で、すべてのものが商品になりますから、米を多く作ると米経済は破綻するってことが経験がないからわかってなかったんですね。
ちなみに貨幣を増やすとハイパーインフレになるってこともこの時代で経験しているんです。
自分達の利益のために、なりふり構わず政策を進めていく・・・、
当然、どこかにしわ寄せがいき、長い目で見れば世の中全体にマイナスの影響を与えている。
今もそんなことが行われているような気がします。
その場しのぎ・・・、でもしのげないと生きていけない・・難しいですね^^;