Nicotto Town



善政は減税のことって言われているけど知ってる?

「逆説の日本史9戦国野望編」井沢元彦著

”あの皮肉屋の勝海舟が、こう言っている。

日本国中で、古来民政のよく行き届いた処は、まず甲州(山梨)と、尾州(愛知)と、小田原(神奈川)との三か所だろうよ。(武田)信玄や、(織田)信長や、(北条)早雲の遺徳は、まだこの三か所の人民に慕われているらしい。(『氷川清話』角川書店刊 カッコ内、引用者 註)

また、信玄の政治については、次のように褒めている。

信玄がただの武将でなかったことは、ひとたび甲州(山梨)に行けばすぐにわかる。見なさい、かの地の人は、今でも信玄を神として信仰しているのだ。これは当時民政がよくゆき届いて、人民が信服していた証拠ではないか。
その兵法のごときも、規律あり節制ある当今の西洋流と少しも違わない。近ごろまで八王子に、信玄当時の槍法ががのこっていて、(中略)敵に近づくと、一斉に槍先をそろえて敵陣に突貫するのだ。
ちょっと見たところでは、はなはだうかつのようだが、おれは後で西洋の操練を習ったから、始めてこの法のすこぶる実用にかなっていることを知った。
また、そろいの赤具足をその将士に着せて、敵の目を奪い、かねて味方の士気を鼓舞したのなどは、大いに今日の西洋ふうにかなっているところがある。
これが実に信玄の遺法であって、後世、井伊家の特色となったものだ。(引用前掲書)”

もちろん、信玄が戦が強かったから信仰されているわけではない。民衆に対して善政を敷いたからだ。

”減税(あるいは低い税率)こそ、民を活性化し、結果的に国を栄えさせる最大の要因だということだ。
勝海舟は信長の政治については次のように評している。

信長という男は、さすがに天下に大望をもっていただけあって、民政の事には、深く意を用いて、租税を軽うし、民力を養い、大いに武を天下に用いるだけの実力をたくわえたとみえる。(引用前掲書)

信玄も信長も、天下を取るために軍備を最大限に拡張した。しかし、民に重税を課してそれをまかなうといういう発想はまったくなかった。”

もちろん、重税をかしてしまうと民が疲弊して心が離れると知っていたからだ。税によらずどうやって経済政策を行ったかというと農業土木だった。甲斐は山に挟まれた狭隘な土地で広大な水田を作ることはできなかった。複雑な地形で無理をして大きな田んぼを作ると大雨が降ったときに破綻して水害が起こる。

”複雑な地形をいかに克服して、より多くの田畑を作るか。そして、その田畑や民家が水害を受けないように、いかにして守るか? これこそ、信玄の最大の政治課題であった、そして、その目標を信玄は見事に達成したのである。
その成果の一つに、信玄堤がある。信玄の築いた堤防だ。
たとえば将棋の駒のような形の土塁を設け、鋭い先端部で水を分流させたり、雨を含んで激流となった川の勢いを止めるために、わざわざ絶壁に誘導してぶつけたり、治水のために、ありとあらゆる工夫がなされている。
ちなみに外国ではこれを訳さずに「nougyoudoboku」で、そのまま通じるそうだ。”

効率主義、合理主義、強欲資本主義の指導者ばかりの今とはまったく違うよね。


アバター
2018/12/21 18:38
>のこさん
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというビスマルクの言葉は現代の政治に関わる人たちには理解できないのかもしれません。
アバター
2018/12/20 15:13
歴史の中から諸々学んで欲しいですよね。
現代の政治屋さんたち。




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.