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「もう会えない」Ⅱ



      Ⅱ

 昨日のあれは、なんだったんだろう。 
 そんな風に考えてしまうような、翔との出会いだった。 
 夢ではなかったとわかったのは、会社を出ると、そこに翔がいたから。 
 パステルブルーのパーカーのフードにふわふわの白い毛が付いているのも、白のほっそりとしたパンツを履いているのも、翔の姿形によく似合っていた。 
 翔の姿を見てほっとしている自分を感じながらも、思わず辺りを見回して会社の人間がいないかを確かめてしまった。翔はちゃんと心得て、少し離れたところで待っていてくれたのに。 
「みゆきちゃん、今日も遅いんだね」 
 仕事がいつ終わるのか自分ですらわからないのに、翔はどれ位ここで待っていたんだろう。 
「寒いでしょう。いつからここにいたの?」 
「あ、みゆきちゃん、優しい」 
 嬉しそうに笑う翔の表情。やっぱり天使の笑顔。 
「いらっしゃい。あったかい物でも買ってあげる」 
 私は自販機まで行くと、お金を入れた。 
 すかさず、翔が缶コーヒーのボタンを押した。指の長いきれいな手だった。 
「無糖じゃないんだ」 
 思わず私は笑った。高校生だから、格好つけて無糖を選ぶのかと思っていたから。 
「だって、苦いじゃん」 
 ちょっとふくれっ面をして睨んだ顔が、また可愛くて、私は笑いが止まらなくなってしまった。 
「あー、みゆきちゃん、笑ってる」 
 こんなに笑うのは何年振りだろう。もうずっと会社と家との往復だけの生活を送っていたのだと、気付かされた。 
 私と翔は、顔を見合わせて笑った。 
 そうして、その缶コーヒーを半分こした。 
 間接キスだあ、と笑う翔に、やっぱり高校生なんだなあと思った。そうして、心の中でそっと苦笑した。 
 翔はその日から毎晩私の前に現れて、バス停までの短い距離を一緒に歩いた。
 2人の会話はとりとめもない話ばかりで、翔は自分のことを多くは語らなかった。 
 高校生くらいだとは思ったけれど、実際は何歳で、昼間は何をしているのか。そもそも、何故私に声を掛けてきたのか。 
 でも、私はそれでいいと思った。聞いてしまったら、深みにはまってしまう。それが怖かった。 
 些細なことで笑いあったり、共通点をみつけては驚いてみたり。それで充分だった。今日はボクのおごり、と言って翔が缶コーヒーを差し出してくれた日もあった。 
 平日は必ず、いつもの場所で翔は待っていた。土日はどうしてるのかと思ったら、会社休みでしょ、と言われた。今年のクリスマスイブは休日だった。だから、会わなかった。休日だから。イブイブだよ、と翔は言ったけれど、特別なことはお互い何もしなかった。 
 所詮は、会社から駅前のバス停まで歩くだけ。デートですらない。 
 仕事納めの日。 
 当日になって、気付いた。 
 会社のない日は翔と会えない。それも、彼が会いに来てくれるからで、私は翔の居場所も連絡先も知らないのだった。 
 それ程、翔と会う毎日は当たり前になっていた。逢えなくなる、その事実が私を打ちのめす。 
 でも、そんなことを自分から聞くことはできなかった。 
「どうしたの?」 
 翔は、そんな私の気持ちに気付くこともなく、無邪気な笑顔で聞いてくる。 
「…ちょっと疲れたの。残業続きで」 
 明日からの10連休。その間、翔はどこで何をしているんだろう。 
 その時、彼の暖かな手が、私の手を包み込んだ。そうして、指を絡めて握りしめてきた。 
「みゆきちゃんの手、あったかい」 
 私を長い時間待っていたであろう翔の手は、思っていた程冷たくはなかった。
「翔の手もあったかいわよ」 
 そうだね、と声を上げて翔が笑う。その優しい笑顔を見ても、不安が消え去ることはなかった。 
 いつもの道を、手をつないで歩く。掌を通して翔のぬくもりが伝わってくる。
 ゆっくり歩いたの筈なのに、いつもより早くバス停に着いてしまったような気がした。 
 バスは時刻通りにやってくる。そんな気持ちが翔の手を強く握りしめてしまった。 
 その時だった。 
 翔が、私を抱きしめたのだ。人目も気にせずに。 
 温もりが、翔の体温が、冷えた私の体を包み込む。 
 私は、顔を翔の肩にうずめた。暖かかった。嬉しくて、幸せだった。 
 ずっとこうしていたかったけれど、バスは無情にもやってくる。 
 翔は、抱きしめた腕をそのままに私の頬にキスをすると、腕をほどいて、バスに乗った。 
 バスを見送ることもできず、私はその場に立ち尽くした。 
 どれくらいそうしていただろう。 
 冷たい風が吹き、我に返った私の体はもう冷え切っていたのだった。
 
        続く

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