「もう会えない」Ⅲ-1
- カテゴリ:自作小説
- 2019/01/13 00:53:46
Ⅲ
年末年始を、私は何をするでもなく、ただぼうっと過ごした。
何もする気になれなかった。
余りに淋しくて、テレビをつけてみたものの、音は右から左へとただ流れていくだけだった。
思い出すのは、翔の温もり。
抱きしめられた時の、しなやかな筋肉。
当たり前だけれど、美少女のような顔をしていても、若い男性の体だった。
そして、優しい優しいキス。
気付くと、涙があふれていた。
そんな10日間を過ごして、仕事始めの朝になった。
化粧をしようと鏡を見て、私は唖然とした。
一気に老け込んだような荒れた肌。赤く腫れた目元。こんな顔では仕事に行けないと大急ぎでシャワーを浴びると、一番良いスーツに身を固めて念入りに化粧をした。
何か言われるかと思ったものの、皆、正月をのんびり過ごしているのは同じなので、私だけが目立つようなことはなかった。
私は、怖かった。
翔は、今日、来てくれるのだろうか。
別れ際、翔は何も言わなかった。『さよなら』すらも。
この年になると、なんでも悪い方に考えてしまう。そうしておいて、やっぱりそうだったと諦める。あらかじめ予防線を張っておくのだ。自分が傷つかないために。
翔はいない。きっと。
そう思わないと、会社から出られなかった。
オフィスビルのロビーは広すぎて暖房が効いていないのか、ひんやりとしている。自動ドアが開くと、一気に冷たい風がたたきつけるように吹いてきた。飲み会を断らなければ良かった、と少しだけ後悔する。
吹きすさぶ風の中、駅へと向かう。
いつも翔が待っていてくれた場所。そこに、彼の姿はなかった。
やっぱりね。そう呟く。予防線を張っておいて良かった。
もう彼のことを考えるはよそう、あふれそうになる涙をこらえようとした時だった。
横からふいに腕をつかまれる。反射的に振り払おうとすると、みゆきちゃん、と呼ぶ声がした。思わず振り向くと、そこには焦った顔をした翔がいた。
「…翔?」
叫び声をあげなくて良かったと現実的なことを考えながらも、気が抜けてその場にへたりこんでしまったのだった。
「仕事初めの日って、こんなに早く終わるんだね」
走ってきたのか、ハアハアと息を切らせながら翔が言った。
目の前に翔がいることがまだ信じられなくて、頭がうまく回らない。
「…みんな、正月ボケしてるから」
とんちんかんな答えを返した私に、翔が笑う。
ああ、これだ。天使の笑顔。凍えるような風が吹いていても、心がほんのりと温まってゆく。
「良かった。間に合って」
翔の手につかまって立ち上がる。
翔の掌の温もり。考えてみれば、手をつないだのは仕事納めのあの一度きりだった。それなのに、こんなにもはっきりと覚えているなんて。
翔は、息を整える間も惜しいように言葉を継いだ。体全体からは湯気が立っている。
「みゆきちゃんの家、知らないし、ビルを出たところでないと、逢えないから」
ビルを出たところ、という言葉に違和感を覚える。お互い、なんとなく避けていた話題。再び逢えたことで気が緩んでしまったのだろうか。私は遂に、口に出してしまった。
「…ねえ、どうして私があのビルから出てくることを知っているの?」
言い淀んでいる翔を見て、後悔と落胆している自分がいた。
「…見たんだ。あのビルから出てくるところを」
ちゃんと話すよ、そう翔は言った。初めて2人で、カフェに入った。
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