ホントは深い意味がある百人一首のおはなし
- カテゴリ:勉強
- 2019/01/13 15:15:00
ほととぎす 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
一般には「初夏の明け方に鳴くホトトギスの声を聞こうと夜を明かしてやっと鳴き声を聞いたと思って見たら、ホトトギスはいなくて明け方の月が見えただけだった」と、ホトトギスの声を聞く典雅な遊びをする貴族の生活を詠んだ歌とされています。
本当にそうでしょうか。後徳大寺左大臣は1139年から1191年、ちょうど平氏全盛から治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)にあたり、政治的には平清盛と競合して排除されており、復権したものの病気がちで典雅な遊びとは無縁だったはず。
「試験に出ないQED異聞」高田崇史著によると
ホトトギスは時鳥と書いて「冥土とこの世とを往復する鳥」と当時は思われていた。そして、月も不吉な物とされていた。時鳥が鳴いた方を見たら月が残っていたってことはどう詠んでも不吉ってことにならないか?
古文では月は不吉な物として書かれている。
"『源氏物語』にも『月見るは忌みはべるものを』と書かれているし、『竹取物語』の中には『ひとり月な見たまいひそ』『月の顔見るは、忌むこと』とはっきり記されている。また、和泉式部や在原業平も月を余り好んでいない。そして、さっき言った『更級日記』などには、家の板屋の隙間から漏れ来たる月の光を『ゆゆし』ー斎々し、つまり忌まわしく不吉だ、として、袖で隠したりもしている」”
時代背景と当時の常識を知っていれば、典雅な遊びをしていたよってのんきな歌とは読めないはずだが、文学者はそんなことはありえないって決めつける。
だって、源氏物語は怨霊慰撫のお話って言ったら口も利いてくれないくらいになるからね。
七福神=六歌仙プラス惟喬親王とも言われていて、布袋=喜撰法師=弥勒菩薩との解釈ですね。
言葉遊びなんですけどね。
仏として、降臨する・・・又一つ賢くなりました。
ありがとうございます。
コメントありがとうございますm(__)m
専門が民俗学なのでこういう怨霊とか文学とか和歌とかは仕事なのです(^^)v
過去の日記も読んでくださいねm(__)m
百人一首の和歌は怨霊封じや呪詛の歌が混じっているっていうのはよく言われていますよね。
喜撰法師の「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」は紀氏自身への祝福のためって言われていて、六歌仙なのに一首しかわからない喜撰法師は紀貫之とも言われています。
「みやこのたつみ鹿ぞすむ」と読み替えて「み鹿」をミロクと読むと釈迦入滅後56億7千万年後に仏として降臨するからってですね。
ホントに生きている人間が一番怖いですね><
こんばんは。
勉強になりました。
ありがとうございます。
怨霊大歓迎です!!
グリム童話も結構面白いですが
やっぱり日本のお話は魅力的ですね~♪
でも一番怖いのは生霊ですね。
生きている人間こそ一番怖い(>_<)
源氏物語は怨霊慰撫の話だから「源氏」なんですよ。
藤原氏全盛の時代に政治の世界から弾かれていく源氏や他の貴族達の怨霊を慰撫するために書かれた道長公認の物語なんです。
ちなみに彼岸に亡くなると怨霊になると当時は信じられていましたよ。
源氏物語は光るの君が好き勝手しほうだいしてますが、、、あっ、でも確かに生霊が居ましたよね。
恋は幸せに終わる方が良いですね~。
今の感覚で和歌を鑑賞すると薄っぺらいってものがたくさんありますが、当時の常識で読むと実はってことがたくさんあります。言霊の時代なので、直接は言わないとか、みんな知っているよねとか、いろいろ技法がありますね。
今風に直すと、ラップ音がしたと思って振り返ったら、本当の幽霊が立っていた
という感じですか。でも、もちろん昔の歌には、色々な意味がこめられているので
こんな単純なものではないですが・・・w
勉強になりました。ありがとうございました。
百人一首の和歌についてはニコタの過去の日記でいくつか触れているから私が取り上げたのは順番ですね^^
小野小町や在原業平について書いています。
月については月夜見は物部氏を表しているのではないかとの説があって、天照大神は秦氏、素戔嗚尊は蘇我氏で地方の神社の三つ巴の神紋はこの三つの神との説もあります。
なるほど。どうして、この人のこの歌を選んだのと不思議だったり、いろいろ深いメッセージがあるのでしょうか?