「もう会えない」Ⅵ-1
- カテゴリ:自作小説
- 2019/01/22 01:43:05
Ⅵ
その夜、私たちは初めて身体を重ねた。
玄関ドアが閉まるのも惜しいように、翔が私の唇を奪う。外で逢っていた時にはできなかった、深い深いお互いを貪るようなキス。そのまま、私の腰を右腕で支えながら翔は奥へと進んでゆき、リビングのソファーに私は押し倒された。
翔の天使の笑顔が私の上に降ってくる。何度も何度も唇を交わしていくうちに、意識が飛びそうになる。けれど付けっ放しだった灯りが、Tシャツを脱いだ翔のしなやかな若い肌を露わに映し出す。臆してしまった私は、電気を消して、と頼んだ。
「みゆきの顔が見えないから嫌」
もう若くはない身体を、翔に見られるのは恥ずかしかった。私の衣服がすべてはぎ取られる前に、お願いだからベッドにして、と言うといきなり横抱きにされて、寝室へと入った。
ベッドサイドの灯りですら、翔の顔や裸体がよく見える。既に私の下着に手を掛けていた翔を思わず止めようとしたけれど、ダメだよ、とささやかれて全裸にされてしまった。
「ずっとこうしたかった。ようやくひとつになれるね」
それからはもう余りよく覚えていない。私たちは何度も何度も身体を重ね、お互いの唇を奪い合い、いつの間にか眠ってしまっていた。
気付いたのは、いつも通り目覚ましが鳴ったからだった。
私はアラームを慌てて止めると、翔の寝顔を見た。
天使のような寝顔。なんて愛おしいんだろう。そっと手を伸ばして、頬に触れてみる。
「ん…」
まだ寝ていて、そっと小声で言うと、翔はにっこりとほほ笑むと再び深い眠りに入っていった。
いつまで眺めていても飽きない寝顔だったけれど、私は始業時間前にベッドから抜け出すと、会社へ連絡をした。
「申し訳ありません。今日からしばらく休ませてください」
上司が何か言っていたけれど、私は何も答えず電話を切ると、スマホの電源を落とした。
静かな朝だった。通勤時間が過ぎると、住宅街はこんなにも静かなのかと思った。
私はなるべく音を立てないよう気を付けながら、朝食を作った。
「…みゆきがいない」
まだ、寝ぼけまなこな翔が起きてきた。
ご飯あるわよ、と言うと、みゆきい、と甘えるように抱きついてきた。
「せめて、下着くらいはつけて」
ごはんよりみゆきがいい、と言う翔に、デコピンをくらわす。
「冷めないうちに食べよ」
不承不承頷くと、翔は下着を取りに行った。ついでに顔を洗ってきてね、と言うと、はあい、と間延びした返事が返ってくる。昨夜の翔とは違う、昼間の翔。私はそんな他愛のないやり取りに幸せを感じた。
きちんと服を着てきた翔と2人、リビングのソファーにもたれながら、並んで朝食を取る。
ベーコンエッグが美味しい、と言う翔に、誰が作っても同じでしょ、と私は答えた。すると、みゆきが作ってくれたから美味しいんだよと、翔は頬に軽くキスをしながら言ってくれた。
確かに自分で作っておいて変だけれど、こんなに美味しい朝食を食べるのは初めてかもしれない、と思った。きっとそれは、隣に翔がいてくれるから。
「今日は、どうするの?」
食べ終わったお皿を2人で洗いながら聞いてみると、うーん、と答えて、ベッドの上? と翔がいたずらっ子のように笑って言う。何、馬鹿なこと言ってるのよ、と答えた私に、翔は真剣なまなざしで見つめ返してきた。
「2人で静かに暮らしたい」
私は、言葉を失った。
翔の残りの時間は、彼自身にもわからないのだ。
学校と寮は? と聞いたけれど、大丈夫、と翔は答えただけだった。
とりあえず、今日は当面必要な物を買い出しに行き、後は静かに家で過ごすことに決めた。
みゆきの部屋だあ、と手を引かれて、家の中を案内させられた。特別な物など何もないのに、翔はあれは? これは? と聞いてくる。こういうのが趣味だったんだね、とか、あの時一緒に買ったやつ、とひとしきり大騒ぎだった。
一緒にいたい、と言ったのは本当で、私たちは何をするのにも手をつないで行動していた。洗濯物が干せない、と言うと、後ろから抱きしめてくる。私たちは常に一緒だった。さすがに、お手洗いだけは我慢してもらったけれど。
翔の残りの時間のことは、考えないようにしていた。
考えても仕方がない。それよりも、翔との時間を大切にしようと思った。
私たちはいつも笑っていた。何をしていても、翔は笑いのタネをみつけるのが上手いのだ。ツボにはまって、笑いが止まらなくなることもしょっちゅうだった。
焼き飯が焦げたとか、洗濯ピンが飛んでいったとか、シャンプーの途中なのにお湯をかけられたりとか。
でも、そんな普通の日々が続いたのは、一週間ほどだけだった。
翔は、昼食後、私の膝枕で半分うとうとしながらおしゃべりするのが好きだった。
それが、だんだんと眠るようになっていき、昼だけではなく、少し動くと膝枕をせがむようになってきた。
翔は、残された時間はあと10日程度、と言っていた。
眠る時間が増えてきたのは、残された時間ももう余りないということなのかもしれない。
始めのうちこそ、飛び起きて、今日何日? 何時? と焦って聞いていたけれど、それもなくなった。翔自身にもわかったからだろう。
目を覚ますと、一瞬だけ顔に悲し気な影が差すけれど、すぐに天使の笑顔で私にキスをした。そのままベッドへ行くこともしばしばだった。互いの温もりを手をつなぐことだけで感じるのは、とても足りなかったから。
肌と肌を寄せ合って、見つめあって、キスを交わして、私たちはどれだけ一つになって溶けてしまいたいと思ったことだろう。
そんな叶わぬ夢を描きながら、数日を過ごした。
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