小説ってどうやって書けばいいの?
- カテゴリ:小説/詩
- 2019/04/10 19:05:17
出版社の編集部にいた頃、文学賞の応募原稿をずいぶん読んだ。
うまいなあって書き手は数人で、誰が読んでも残るはずなんだけど。
基本的には、面白ければ文章に難があっても1次は通る。
2次もアイディアが秀逸なら通ることもある。
だけど、アイディアなんてびっくりするようなものはそうそう出てこないし。文章がきちんと書けているほうが有利だ。
小説を書くには、テクニックがある。
ラストから書くこと。そして、ラストから逆算してスタートを決めること。
スタートからラストまでが短いほど書きやすい。
たとえば、駅がラストシーンなら駅前のバス停で降りて、駅まで10メートルを書くと話が作りやすい。ってこと。
あとは、知っていることを書くとか、詰め込みすぎないとか、いろいろあるけれど、ラストが決まって逆算してスタートを短い位置で決めるといろいろ入らないから書きやすいってことなんだよ。
コーチングライセンスを取りに行ったときに、ほとんどが学校の先生で(サッカー部のコーチは日本サッカー協会の規定でコーチングライセンスのC級以上ないとできない。新しい基準だと高校生はB級以上だったかな)、夜中に同室の人たちから先生の仕事がたいへんだってよく聞かされていました。
授業の準備、テストの準備、採点、進路指導だけで手一杯なのに、サッカーの強豪校だから監督から電話があったら即行かなきゃならなくて、全国大会へ行ったら1年のお休みはなくなるとか。
先生がやる気があるといいというけれどもやる気を利用しているブラック企業だと思っています。
ヨーロッパでは夏休みは勉学とかスポーツとか離れてバカンスへ行くことで発想が豊かになるといわれていて、夏の甲子園とかインターハイのような大会とは無縁だそうです。
小説もそうでしょうし、映画なども着地点が締まらないと、途中がいくら良くても台無しになる。
確かにそう思います。
といっても、最近は、どちらもあまり読む・見る時間がないのが現状です。
学校の先生達のことは、友人が以前していたのですが、残業する先生とまったくしない先生がいて、差が激しいと言ってました。
その友人は、まったく残業をしたことがないそうです。
と聞くと、彼があまり仕事をしていないように聞こえますが、逆で、残業する先生は、講義から戻って来ても「ぶらぶら」して、昼休みもなにもしていないと私に言ってました。
もちろん、学校によってでしょうが。
彼がいた3校は、進学校、普通の高校、私が行ってた駄目高校。
進学校は、なにもしなくても、生徒が自ら勉強するから、若干の落ちこぼれの面倒をみると言ってました。
問題は、普通の高校で、先生によってやる気が違うので、どうにかならないかと思ったらしいのですが、校長の権限がかなり強いらしく、しかも、今の校長は、保身ばかり考えるので、困っているともいってましたね。
学校の先生達は、夏休みとかは、どうしてるのか・・・・これも学校差が酷いようです。
私の別の友人(夫婦とも先生)は、夏休みも私たちだって、仕事をしていると言ったので、8時間労働か聞いたら、2時間・・・・・クラブらしい
政令市の先生達の給料は、都道府県よりも高いのですが、給料は、どちらも都道府県が出してます。
これは、平等性と国は言ってましたが、同一賃金同一労働とは、違うので、今後どうなるでしょうね。
こんばんは^^
小説も文章もそうなのですが、ラストから書くのは着地点を自分で理解するためですね。着地点が見えないままに最初から書いていていつの間にか上手く着地していたというのは、文章を書き慣れていないと失敗することが多いです。目標があるとやっぱりすすめやすいですからね。
部活動があるために、学校の先生はほぼ休みが取れない状態くらい仕事が多くなっています。授業の準備をして、テストを作り、学校の行事もこなして、生活指導と進路指導をして、その上部活動(体育系はほとんどコーチライセンスが必要なので講習もあります)で休みの日は練習で潰れるではブラック企業も真っ青です。しかも、今までやったこともない競技だったらルールから勉強です。
野球やサッカーの強豪校だと外部からコーチを雇ってきてってありますが、それでも部活の責任者は学校の先生なので仕事量は変わりません。
町のスポーツクラブがすべての町にできればいいですが、そんな予算はないって言われるでしょうね。それよりももっとやることがあると住民が言い出して、それは自分たちのなにかなのでしょうけれども。
石原慎太郎氏は小説家としてより国会議員とか都知事として認識していたことと、暴言ばかり吐く人だったから読んだことがないのです。純文学だから読まなかったわけではなく。食わず嫌いってことですね。
本題にもどって、プロにそう言われても、素人は、なにも発言できません。
関連ですが、芥川賞を一発で取った「石原慎太郎」氏の『太陽の季節』のような大胆さが減ってきて、こじんまりしてきたようにも、思えますが、「石原慎太郎」氏に対抗したあの人の態度は、内容以前の問題と思っているので、才能のあるなしに限らず、私的には、読む気はまったく起こりませんです。
日本語は、とても難しいときいてますが、それでも、世界でトップの成績を示していたのは、やはり難しいことを理解した、あるいは、その努力をしないといけなかったことではないかと思います。
日本語というより、落ちこぼれというと語弊があるかもしれませんが、これは、なにも人間だけでなく、動物の世界でもある共通点でしょう。
kiriさんが書かれている「埼玉県」の話、本来なら、全国から視察されてしかるべき、あるいは、各都道府県の教育委員会が、真似をするのがあるべき姿だと思います。
このことは、埼玉県だけでなく、全国に広げてしかるべき内容かと思いますので、対応するかどうかは不明ですが、文部科学省にも動いてもらいたいですね。
それと、部活動が原因で、授業に専念できないなら、部活動部門のプロを要請するのも方法かと思います。
少し話しがズレますが、私の出た高校は、とても成績の悪い高校で、物理や化学は、全て独学でするしかなかったのですが、世界史は、有名な先生が転校して教え始めた途端、それまでは、下から数えて〇番目だった成績が、一気に県で上から2番目という点数になりました。
かたや物理などは、外の科目のやる気のある先生が、とても怒ってました。
先生と生徒、このどちらもやる気を起こさせれば、日本も捨てた者じゃ無いと思います。
先生がやる気を起こす → 生徒がやる気を起こす → 点数に反映する こうなればしめたものでしょう。
とても面白く、重要なコメントありがとうございました。
日本語が読めない(あるいはきちんと理解できない)日本人は昔から一定数いて、大きな看板に立ち入り禁止って書いていても平気で入ってきてしまうってことが起こっていて、謎だったようです。
子ども達も同じで、なぜか教科書に書いてあることが理解できなくて、最近の研究を踏まえて、埼玉県で教科書がどうやったら理解できるかという授業を学校の先生達がみんなで考えて行ったところ、びっくりするくらい成績が上がったそうです。
先生については、部活動から切り離して授業に専念させると違ってくるって言われていますね。
兄が日本文学全集を集めていて、格好良いなと思ってました。
そこで私は、なら私は、世界文学全集をと思って、よく本屋に買いに行ってましたが、難しすぎて考えた末に、まず映画、例えば、「罪と罰」などを見てからなら、多少理解できるだろうと、映画に行った物です。
それでも、やはり難しくて、なかなか理解できませんでした。
kiriさんが書かれている後段の部分、それは良く分かりますよ。
だから、関係なさそうな数学でも、演繹法で解ける学生は、ほとんどいないと言ってましたから。
決してオーバーな表現とは思いません。
日本の子供のレベルがこれだけ下がるのも、当然のことだと思ってます。
おはようございます^^
出版社で文学作品を編集していたので本を読んでいる人が少なくなっていくのは寂しいかぎりです。
友人に塾講師がいるのですが、最近の子ども達は本を読まないから、テストの問題で何を問われているかがわからないらしいです。まさかと思うかも知れませんが、ホントにひどいレベルだそうですよ。
典型的理科系人間の私にとっては、文章を読むのはとても苦手です。
小学生~中学生までは、よく、文学を読んでましたが、理解はしてなかったと思います。
出版者の人が、とても高級取りで羨ましかったです。
知人にいたので、すぐ本が手に入ったので、高額の本は、頼んでました。
今から先は、どうなるのかわからないけど、JRとかに乗っていると、やはり本を読む人は、まだまだいますね。
その様子を見て、ちょっとほっとしました。
コンピュータの発達で、書くことも減っているのは、事実でしょうから、将来がちょっと心配ですが、そのときは、そのときと最近は思い始めました。
編集は私の本業ですからね^^
ここでわかってなければ仕事で稼げないです^^;;
kiriさんはなんでもご存知ですね。