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古代日本では出雲はひどい扱いだったって知ってた?

八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を 素戔嗚尊

古事記や日本書紀の最初に出てくる和歌で、日本最古の和歌と言われている。

意味は一般的に「新婚のふたりを祝うかのように雲が八重垣のように沸き上がっている」とされています。

本当にそうなのでしょうか?本当に?記紀の流れからして素戔嗚尊は天照大神の天岩戸事件のあとで高天原を追放された神逐の時期で、追放した素戔嗚尊の歓びを祝うかという疑問が残ります。

ちなみに出雲風土記でこの和歌は八束水臣津野命が詠んだ歌とされている。八束水臣津野命は国引きをした神で、出雲はこの神が「八雲立つ出雲」と言ったことから、島根の名前もつけたと言われている。

八束水臣津野命は淤美豆奴神(古事記では素戔嗚尊の4世孫)と同一神として扱っているが、八束水臣津野命を国引きの神、淤美豆奴神を妙見の神として別の神として扱っている神社もある。

「QED 出雲神伝説」 高田崇史著によると。

”「八束水臣津野命は、国引きをしたーつまり、領土をどんどん広げていったという神だ。そうなるとこの歌は、そんなにのどかな歌ではなくなる。おそらくは、八雲(蜘蛛)たちが立ったぞ。八重垣を造って取り囲め。妻ー女性たちも逃がさないように厳重な八重垣を造るのだ……というような解釈に変わる」”

古代、朝廷や貴族に反抗する勢力は、鬼、熊、蛇、蜘蛛などと呼ばれて徹底的に潰された。蜘蛛が出てくるから出雲、蛇が出てくるから和泉(出巳)、日本武尊が九州を平定したときの相手は熊襲建だった。酒呑童子の鬼は「鬼神には横道なきものを」と訴えたが退治され、桃太郎の鬼はなぜ退治されたのか理由ははっきり書かれていないが退治されて宝物を奪われている。

”「その場所は、山城国愛宕郡とされているから、賀茂川を挟んだ一帯だろう。この出雲郷は、大化(六四五~六六〇)以降に設置されたらしいが、山城国の他に、島根県簸川郡や、八束郡にもあったようだ」
「京都と島根か」
「しかもこれらは、出雲郷と書いて『アタガヤ』と読まれてきたんだ」
「アタガヤ?」
「アターつまり『アタの家』、あるいは『アタの住む谷』だ。このアタという言葉は余り良い意味を持っていない。実際に折口信夫などは、その語源を『仇』だとしている。また、その他には『徒』『異』『他』などの文字があてられている」
「つまりそこは、アタと見なされていた人々が住んでいる場所、ってことか」
「そういうことになるな。彼らはどこからか移送されて来て、朝廷の指定する場所に住まわされた。そして、強制的に重労働に就かされる。第二次世界大戦後の、シベリア抑留所のようなもんだ。だから当然の如く、この出雲郷からは逃亡者が相次いだ」
 崇はバッグからレポート用紙を一枚、くしゃりと取り出して読み上げた。
「元明天皇の和銅元年(七〇八)から、聖武天皇の神亀三年(七二六)までの十九年間に、山城国愛宕郡出雲郷からは逃亡した人々の記録だ。ちなみに、藤原京から平城京への遷都は和銅三年(七一〇)だから、その前後の話ということになるー。

・和銅元年(七〇八)ー川造志多布売(四十四歳)、川造刀自売(二歳)。
・和銅二年(七〇九)ー出雲臣愛売(三十六歳)、出雲臣玉虫売(二十七歳)、出雲臣長売(十八歳)、出雲臣意美麻呂(十七歳)ほか女性三名。
・和銅四年(七一一)ー出雲臣族孫売(六歳)。
・和銅五年(七一二)ー出雲臣乎美奈売(三十七歳)、出雲臣多理売(二十九歳)ほか妹、出雲臣覇邇売(四十四歳)ほか妹、出雲臣御川売(二十六歳)、出雲臣玉売(七歳)、出雲臣人足(二十歳)、出雲臣真床(二十歳)、出雲臣族万売(二十歳)。
・和銅六年(七一三)ー出雲臣形名売(四十六歳)、出雲臣宮虫売(二十三歳)。

ー以下は省略するが、『売』の文字を見ても分かるように、明らかに逃亡者の多くが女性だった」
「そりゃあ、どういうことだ」
「単純な話だよ。重労働に就かされている男性よりも、なお更に耐え難い境遇に置かれていたということだろう。ここで暮らすくらいならば、死を賭しての脱走も厭わないというほどに……」
「その理由は『妻ごみに』ーってわけかい。”

ってことで、ほんとにひどい目にあっていたんだよ。出雲は地名の出雲からなのか。それとも蜘蛛たちという意味でなのかはわからないけれどね。

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2019/05/22 15:49
>ゆりかさん
こんにちは。
元々出版社で編集の仕事をずっとしていたから、本に埋もれてというのはあっているのだと思っています。
フィールドワークで確認しなければならないときに、実物は見せて貰えなかったり、入れなかったりもするから、仮説だけってよくあります。
母方の祖母が割烹をやっていたから料理は小さい頃からやっていました。河野氏の風習がきちんと伝わっていないのは祖父が早いうちに亡くなったからかもしれません。古い家でいろいろ掛け軸があって幽霊の掛け軸の部屋で寝かされたときは一睡も出来なかったことも><
古代と現代では意味合いが違っていることもたくさんあって、以前の日記で女人禁制について書いてあるのですが、昔は人口を増やさないための政策だったのに神格化されて誰も説明できないなんてこともありますね。
こちらこそ、戦国は有名どころのものしか読んでいないので、いろいろ教えて下さいませm(__)m
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2019/05/21 12:54
こんにちは、kiriさん。
丁寧にお返事して頂き、ありがとうございます。

すごいご職業に就いていらっしゃいますね。
私は趣味で歴史を勉強しているだけで、本業は医療従事者です。
専門的に勉強している方に憧れます^^

郷土料理の再現とはまた違うと思いますが
『武士のメシ-戦国時代『食』はひとつの武器であった レシピ付き 戦国十九武将の“勝負メシ”を忠実に再現』
という本で、簡単そうな戦国料理を作った記憶があります。

あまり詳しくはないですが、歴史上の風習を学ぶのは私も好きです。
貴族以外は人ではないとは、なんとも世知辛い世の中だったのですね;;

また色々教えて頂けると嬉しいです。ありがとうございました(*^^*)
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2019/05/19 16:07
>ゆりかさん
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
私は民俗学(柳田国男の遠野物語のような学問)が専門なので、歴史上の風習や風俗、郷土料理などなどばかりの資料を読んでいたり、再現したりです。

当時は朝廷で皇族と五位以上の昇殿できる貴族以外は人とは見なされてなかったのですね。
夜中に出歩く習慣もなかったから、出歩く庶民達は百鬼夜行と呼ばれて関わると襲われるって恐れられたりですね。

鬼とか神とか呼ばれていた人たちは、庶民の味方だったと言われています。
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2019/05/17 22:04
こんばんは、kiriさん。

古代史にお詳しいですね。
私は古代はさっぱりです~^^;

貴族に反抗する勢力を、鬼や蛇などと呼ぶとは…
人権がないのは勿論、人としても見ていなかったということでしょうか。

出雲が、シベリア抑留地のようなものだったとは驚きです。
特に女性が酷い目に遭っていたのは悲しい歴史ですね。




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