Nicotto Town



青い薔薇の魔法(3)

(はじめはぼんやり、影のようなものが見えるだけだった)

(でも何日かしたらくっきりはっきりしてきて)

(あっちにもこっちにも、うじゃうじゃいる……)

(ほら、こっちをにらんでる)

 エルクが必死に頼んだので、師は口を閉じてくれた。

 ラデルに講義で使う巻物を探すよう命じた師は、エルクの手を引いて私室へいざなった。

 長い長い螺旋階段を昇って部屋に入るなり、師は赤い絹張りの箱を岩棚から取った。

 部屋の隅にいるものがにらんできたので、エルクは身震いして目をそらした。

「ずいぶんはっきり見えるようだね」

「は、はい……」

「この寺院は相当に古い。地下の封印所が作られてから、一万年経つと言われている。だからまあそれなりに、古くさいものがごまんといる。かつて寺院で生きていた者の霊が大半だが、中には生霊もいるであろうな」

「生霊?」

「生きている者の強い思念が、御霊のごときになることがある。それに導師も弟子も、毎日精霊だの亡霊だのをかき集めては、喚び出している。ゆえに、幽霊など、たくさんいてあたり前という環境だ」

「え……ここにはもともと、そういうのが、いっぱいいる……?」

 そうだと師はうなずいて、桃色の砂糖衣がまぶされたナツメヤシを上品につまんだ。

「さて、非常に強力な韻律を行使すると、そういうものを見る力が一気に開眼することがある。おまえがこっそり試したのは、私の部屋に置いてある魔術書の韻律。サラストバルの秘法だと思うのだが」

 背もたれのない木の椅子に座ったエルクは、こくりと、神妙にうなずいた。

 「そうです。どんな呪いも解いちゃう韻律だって、お師さまが言ってたから……そこの岩棚から、魔術書をこっそり持ちだして、厠(かわや)にこもって……ためしました。ぼく……ぼく……」

 エルクはじわじわ湿る目を蒼い衣の袖で拭った。

「ぼく、兄さまの呪いを、解きたかった」

「やはりそうか。しかし、触媒をそろえられなかったはずだ」

 エルクは袖が濡れた蒼い衣を見下ろした。

 それから、部屋の壁にぽっかりあいた円い窓を見やった。

 雲ひとつない夏空が、目を焼いてくる。

 青。

 青……。 

「そうです……青いバラから作られたインクっていうのが、なくて……」

 

 試みは失敗に終わった。

 魔法の気配は下ろせたし、十種類要る触媒のうち九つまではちゃんと揃えられて、魔方陣においた兄弟子の下着に次々垂らした。がまの油、忘れな草のつゆ、ミュルラの香油……でも、最後のひとつが足りなかった。

 代わりに、師の卓上にある青インクや蒼き衣を染める染料を使ったけれど、だめだった。

 どれも青いのに、青いバラの青にはなってくれなかった。

 何回やっても韻律は発動しなくて、ついには……

「兄さまの下着、ぼくの魔力で燃えちゃった。ぼく、自分のを、こっそり兄さまの衣服箱に入れてごまかしたの。お師さま、青いバラ、持ってませんか? それがあったらきっと……」

「エルク。ここはおろか、大陸中どこを探しても、青いバラは見つからないよ」

 師は目を細めてエルクの頭に大きな手を置いた。


「青いバラは、この世には存在しないんだ」
「え……?」
「バラはまったく青い色素をもたぬ植物なんだ。青いものは、人工的に作り出すしかない。太古の昔、超技術華やかなりし時代には、まごうことなく空色のバラが作り出されたらしいが、その大いなる御技も苗も、失われてしまって久しい。だから大陸中の園芸家が、こつこつ品種改良して、再び作り出そうとしているんだが……おそらく太古の御技を復活させねば、不可能であろうな」
「じ、じゃあ、あの魔術書は、超文明の時代のもの?」
「いや。あれを書いたサラストバルはごく最近、十年前に亡くなった導師だ。青いバラは、導師が使う暗号のひとつでね。この韻律は、未完成。編み上げることは不可能という意味なんだよ。一見、見事な大韻律で、唱えた者は大量の魔力を消費するんだが。でも決して、発動はしない」
「そんな……」
 「君は早とちりしたんだよ。あの秘法はあらゆる呪いを解く韻律らしいが……と、私はあとの言葉を濁してしまったからね。ラデルのために私はあらゆる解呪の書を集めた。だが、あの子の呪いにはてんで効かないか、君が試した秘法のように、机上の空論の韻律ばかりだったんだ」

 エルクは唇をきつく噛んで、にじんでくる涙を拭いた。
 兄弟子がみんなにいじめられたり、無茶な命令をされるのを止めたかったけれど。
 それは叶わぬことなのだろうか…… 

「お師さまお願い。兄さまには、僕がしたこと、ひみつにしてください」「よかろう。私もラデルの泣き顔を見たくないからな。だが私のエルク、呪いのことは心配いらぬ。アルセニウスが二度と無体な命令をしないよう、然るべき者が、然るべきことをするだろう」 

 師がにっこり微笑んでそう言ったので、エルクはホッとした。

 師はきっと、アルセニウスよりも強くて偉い人、すなわち最長老に訴えて、兄弟子を救ってくれるにちがいない。

 無邪気で幼い弟子はそう思った。

 だが師の背後がちらりと視界に入るや、たちまち怯んでしまった。

「うう……にらんでこないでよ……」

「ふむ、ずいぶん鮮明に見えるようだね。まあたしかに、悪さはしてこないとはいえ、うっとうしいものではあるか」

「なにもしてこないの? ほんとに?」

「霊障を起こすような悪霊は、そうそういない。そのようなものが出れば、我々黒き衣の導師が、即座に浄化するからね。しかし見えるのがどうしても怖いというのなら……」

 ナツメヤシを食する師は、エルクにもひとつ差し出した。

「無理することはない。見えなくしたらよかろう」

 

 

 分厚いギヤマンのレンズの向こうで、蒼い瞳がきらめく。

「エルク、それいいね」

 回廊掃除の当番をこなすラデルが、箒を動かす手を止めた。感心した様子で、エルクの顔を見つめてくる。石の階段を降りてきたセイリエンの下の子ははにかみながら、道具入れから箒を出した。ふんふん鼻歌を歌いつつ、機嫌良く掃除を始める。

「お師さまがくださったの」

「きれいな瑠璃色。青いバラの模様が入ってる……」

「うん、空色のバラ」
「この世のどこにもない花。不可能を表す……」
「さすが兄さま! そうなんだってね。でもね、この花、不可能の他に、もうひとつ花言葉があるんだ。お師様がそう言ってた」
「もうひとつ?」
「うん。知ってる?」
「いや……」
 エルクは兄弟子の耳に口を近づけて、囁いた。

「〈いつか、願いが叶う〉……大昔に作れた花だもの。きっといつかもう一度作り出せるだろうって、そんな願いから、園芸家たちがつけたらしいよ」

「そうなんだ……じゃあエルクはもしかして、そのバラの印に、なにか願いをかけてるの?」

「うん」

「神聖語の試験に受かりますようにとか?」 

「えへへ。どんな願いかは、ひみつです」

 

(兄さまの呪いが解けますように)

(いつか必ず解けますように)

 

アバター
2019/05/25 16:50
ああ、青いバラってそういう……。
そしてエルクが青薔薇を探していたのはそういう理由だったのですね。
エルクが無邪気であるほど、お師様の黒さが際立つなぁ…衣の話ですよ?(すっとぼけ
アバター
2019/05/25 05:07
どの様に解決するのですかね。




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