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本能寺の変は関所の撤廃で起こった

関所といえば箱根の関所のように入出国を厳しく管理するところで、今でも法務省の外局として出入国在留管理庁があり、全国に8つの出入国在留管理局があり、成田などに支局があって出入国を厳しくチェックしている。

EUのように加盟国はパスポートなしで自由に動き回れるのはいいことではあるが、難民やテロの問題でチェックを厳しくしようという動きも出てきている。

国内でも、収穫期になると夜中に車を乗り付けてさくらんぼや桃、みかん、稲などなどごっそり盗んでいく輩がいる。関所を作れば問題なく激減するのだが、実現はできていない。

「逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道」井沢元彦著によると。

天正10年6月1日夜。明智光秀は居城の丹波亀山城を出陣する。このとき、月は出ていただろうか? 天文に詳しいなら1秒もかからず即答で出ていなかったと答えられる問題で、学校ではこういう当たり前のことを教えないと井沢元彦氏は嘆いている。

それで、本題の関所だが。明智光秀隊が本能寺を包囲するまで、織田信長はまったく気づかなかった。絶体絶命で逃げられなくなってから裏切られたことに気づいたのだ。

なぜかというと、関所がなかったから。領内は誰でも自由に行き来できたから明智光秀隊が進路を変えて京都へ向かっていても気づくことができなかった。

徳川家康はこのことを肝に刻んで、箱根に関所を作って移動の制限はしたが、関で銭は取らなかった。安全と経済のバランスを取ったということで、天才のイノベーションをうまくバージョンアップしたということだね。

今の日本の危ない部分もこうしてバージョンアップすべきだと思うのだけどね。

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2019/05/31 15:26
>ゆりかさん
こんにちは^^
関所がありすぎると交通が滞った上に商品に関税が上乗せされるから経済は滞りますね。
寺社勢力は聖徳太子の頃からの市場開催権とかいろいろ持っていたから既得権は放したくなかったでしょうね。だから、比叡山焼き討ちをして、反抗するなら同じことをするぞって見せしめだったかもしれません。

家康は江戸市中に木戸番を作って夜中に移動ができないようにしていたはずです。移動を自由にするとよからぬ相談もしますからね。

平氏のようにスパイを市中にばらまいても反感をかいますからね。天下を取るのは本当にむずかしいってことですね。
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2019/05/31 15:19
>Lilyさん
こんにちは^^
丹波亀山城から京都までは織田領で移動するのは織田配下の武将ばかりで、敵は入ってこない。
という考えがあったとしたら、天下布武を目指していた信長にとって痛恨の裏切りでした。
関所がなくても物見ぐらいは建てていると違ったのでしょうけどね。
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2019/05/30 21:39
こんばんは、kiriさん。
なるほどー!またまた斬新な視点ですね^^

信長が行った関所の撤廃は、メリットもたくさんあったと思います。
当時は、淀川から京都までの50㎞の間で380カ所もの関所があったようで『京都は関所のためにさびれた』と言われるくらい経済活動が鈍ったそう。

関所の撤廃により、信長領の物流が良くなり経済発展したことと、それまで関所から通行税を取っていた寺社勢力の経済基盤へ打撃を与えられたと思いますが…
結果を見れば、自らの命を落とすハメになってしまったというわけですね~^-^;

関所が撤廃されていなければ、本能寺の変は起こらなかったかも?
でも、関所を撤廃しなければ、天下を取れるほどの経済力が得られなかったかも??
うーん、私が信長だったらどうすべきか悩みます。
そこを学んで、バージョンアップした家康はさすがですね(*^^*)
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2019/05/30 21:14
なるほど、関所が無かったから、敵陣の移動に気が付かなかったということですね。
戦国の世の中で、危機感がないというか、何と言うか・・・・・・




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