サッカースタイルの違いは国民性なのかな
- カテゴリ:スポーツ
- 2019/06/11 16:09:32
日本サッカー協会がずっとずっと日本代表監督に招聘したいと恋い焦がれていたアーセン・ヴェンゲル氏はインテリジェンスについてこう語ったことがある。
”面白い話があるんだ。もし日本で監督が全速力でレンガの壁に向かって走れと言ったら、選手達は何の疑問も抱かずに走りだす。そして壁にぶつかって頭が割れ、地面に倒れ込む刹那に監督の方を見て、完全に裏切られたという顔をする。日本人の選手は監督を信頼するから、監督が自分達を傷つけるような真似をするということが信じられない。
いくつかの点で、イングランド人選手は日本人選手に似ている。イングランドの選手も全速力で走り、レンガの壁に激突する。その後、立ち上がって埃を払い、また走ろうとする。彼らは監督に裏切られたと思ったりしない。実際、そんなことは考えもしないんだ。壁に向かって走ることが何になる? そこにどんな意味があるのか? などの自問したりはしない。彼らはさっと命令に取りかかるだけだ。さて、これがフランス人選手になると、壁に向かって走れと言われた時の反応は違ってくる。
イタリア人選手と同じように、「わかりました。壁に向かって走りますが、どういうふうにやるのか、まず監督が手本を見せてくれませんか?」と言ってくるだろう。
選手達はある程度の範囲までしか監督を信頼しない。(フランスやイタリアの監督は)、自分が選手にやらせることは彼らの役に立つのだといいうことを証明しなければならない。選手達に、自分達がやっていることの意義を納得させなければならないんだ。”
「理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人」 ジャンルか・ヴィアリ、ガブリエル・マルコッティ著によると。
ヴィアリが10歳の頃、アンジェロという神父が審判をしていたときのこと・相手チームの選手がGKにバックパスをしたときに、GKの子どもは転んでしまってそのままゴールになってしまった。ヴィアリは転んでしまって入ったゴールが認められるのはフェアではないと思い、相手にわざとPKを与えようとして露骨にハンドをした。これでおあいこにと思ってのことだった。
アンジェロ神父はヴィアリの元へ駆けつけてきて、ボールを拾って説教したという。
”ダメです! そういうことをしてはいけません。あなたがなぜこんなことをしたのかはわかっています。さっきのゴールは認められるべきではないから、おあいこにしたかったのでしょう。これがスポーツマンシップだと思いますか? スポーツマンシップというのは、ピッチで起きたことを受け入れることをいうのです。自分の有利になることでも、不利になることでもです......”
ヴィアリは
”人生において自分がコントロールできないものごとが起きたとき、それを受け入れて前に進んでいかなければならないと教えてくれた。自分が間違いを犯すことで、他人が犯した間違いを帳消しにすることはでかいないことを。”
と理解している。イタリアでは子どもの頃からリアルスティックを叩き込まれる。トレーニングでもずっと集中していることを求められる。「仕事」としてフットボールは扱われる。敵を欺く行為は「賢い」プレーと認識される。コンタクトがないのにペナルティエリアでPKの反則を取られたら、それは欺いた相手が悪いのではなく欺かれた自分が間抜けなのだと。
”あなたが高級車を、街中の物騒な地域に駐車したとする。ドアをロックせず、鍵をイグニッションに入れたままにしておいたところ、車は盗まれてしまった。悪いのは誰だろうか?”
もちろん泥棒が悪いに決まっているが、気をつけていれば車は簡単には盗まれなかった。というのがイタリアのレッスンだ。
イングランドでは、子どもの頃はスポーツ的な価値観を学ぶ場とされていて「フェア」であることを求められる。
”イタリアのシステムは、子供達に自分の身を守ることを教える。イングランドのシステムは、不正行為を避けようのないものとして受け入れず、むしろ根絶すべきものとして糾弾する。その意味で、イングランドのフットボールがユートピアの実現を目指すのに対して、イタリアのフットボールは、リアリズムに根ざしているといえる。”
どちらがいいというわけではなく、国民性の違いなのだが、イングランドがワールドカップ1回、イタリアはワールドカップ4回の優勝回数を比べると結果を出すのはイタリアがいいようにも思える。
ありとあらゆるスポーツで国民性の影響があるなら、トレーニングの方法を考えるのも結果を出す道かもしれないね。