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本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その2

赤穂事件は浅野内匠頭が吉良上野介に殿中で斬りかかったことから始まるのだけれど、なぜ斬りかかったのかいまだに確定していない。それでも、一番やってはならないときに刃傷沙汰を起こしてしまったことだけははっきりしている。吉良上野介がどうこういう問題ではなく。

元禄14年3月14日はどんな日だったかというと、朝廷からの勅使が江戸城内白書院で天皇の御言葉(勅語)を伝え、将軍が挨拶を返す(勅語奉答)という重要な儀式が行われる日で、事件は勅使が到着する直前に起こった。

考えてみてほしい。どんなに吉良上野介に苛められていたとしても、将軍綱吉の顔に泥を塗るような事件を起こすだろうか。これではどんなに理があったとしても浅野家はお取りつぶしだ。吉良ではなく綱吉に恨みがあったとするほうが筋が通る。

「逆説の日本史14 近代爛熟編」井沢元彦著によると。

「忠臣蔵」の映画やドラマの吉良が浅野をいじめるシーンはありえないという。

”1.勅使接待の場において、玄関に金屏風を飾るべきなのに、吉良は浅野に「墨絵」の屏風を飾るべきだ、とウソを教えて恥をかかせた。
2.同じく接待の料理として普通の料理を出すべきなのに精進料理とウソを教えた。
3.勅使が増上寺(将軍家菩提寺の一つ)に参詣する時。畳換えをすべきなのに「必要なし」と偽りの指示を与えた。
4.勅使来訪の当日、服装は大紋(最高級礼装)であるべきなのに長裃(略礼装)でいいと指示した。
5.同じく当日、浅野が頼んでも儀式の「指図書」を「何もかもご存知であろう」と渡さず、大勢の前で罵倒した。”

これらのシーンが思い浮かぶが、まず5はありえないという。

”大勢の前で罵倒されたからこそ浅野は怒り心頭に発するのだが、逆にもしこれが真実なら「大勢」の中の一人ぐらい証言者がいるはずである。しかし、そんな証言をした人間はやはりここ三百年間一人もいないのである。”

現代では、国のトップの言葉にあわせて忖度をして行政機関の公文書すら書き換えて、官僚が勝手にやったことなどと言って、真相はどうだったかはうやむやにしようとしているが、現政権から新しい政権になり、現政権の有力者のほとんどが鬼籍に入れば「あのときはホントはこうだったんだ」って喋る人間がかならず出てくる。綱吉がどんなに吉良をかばったとしても三百年も経てば誰も咎められないのだ。こっそり書いてあった日記が出てきてもおかしくはないが、そんなものは出てきていない。誰も吉良が浅野を罵倒するところなど見てなかったのだ。というよりも、罵倒してないから誰も知らなかった。大石内蔵助も「浅野内匠頭家来口上書」で吉良が浅野になにかしたとは書いていない。すべて討死にしたときは口上書に理由がという死を覚悟したものにすら書いていないということは本当になにもなかったのだ。

1.~4.については。

吉良上野介は将軍綱吉から将軍生母桂昌院のために従一位をもらってこいとの命令を受けて元禄13年は京へ出かけて下工作をしている。高家の仕事とはいえ、将軍のために自腹を切って京へ行き、賄賂を贈って武家の女性では前例のない従一位をもらうために忙しく立ち回っていた。江戸に戻ってきたら勅使を迎える大切な儀式があって、浅野内匠頭を勅使饗応役としたとして、果たして浅野をいじめてぶちこわすようなことをするだろうか?ってことだよね。

浅野をいじめてストレス発散をしたとしても、1.~4.のことを実際にやったとしたら、儀式は確実にぶちこわしになる。そのときに、浅野がやったことだから私は知りませんなんてことがいえるのかってこと。いくら嫌いな部下でも、自分が教育係で大事なイベントが台無しになってしまうようなことはしないよね。浅野どころか吉良も将軍に恥をかかせたって切腹で御家取りつぶしだからね。

そしてもうひとつこのいじめがウソだという重大な事実がある。4.の大紋ではなく長裃を着るように指示されたことについて。

”浅野は十七歳のときに同じ役をつとめているからだ。”

一度体験したものは必ず記録に残してある。先例主義なのだから、絶対に間違えないように記録をあたればいいのだ。

”そして、もう一つ映画でもテレビでもいいが刃傷当日のシーンを思い浮かべて御覧なさい。大名はゾクゾク登城するが、すべて大紋を着ているでしょう。浅野は接待の責任者としても二回目、そして何よりも一般の大名としては何回もこの儀式に参加しているのである。その浅野が、そんな基本的なことを間違うはずがないではないか。”

勅使を迎える儀式は毎年行われる。毎年参加ではなくても何回もやっていることを間違えるだろうか。

「忠臣蔵」の1.~4.のようないじめを受けて慌てふためく浅野のほうがバカではないか。だけど、賢い浅野の殿がこんなにもいじめられて腹に据えかねて斬りつけたとしなければ、浅野を善玉にできなかった。

そう、「バカ殿」では困るのは人形浄瑠璃や歌舞伎の勧進元だったのだ。

じゃあ、ひどいいじめもなかったのになんで浅野内匠頭は吉良上野介に刃傷に及んだのってことになる。それはまた今度。

つづく。

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2019/06/14 16:46
>菜乃さん
こんにちは。
「MOSU」はTBSのドラマをちらちらと見てました。逢坂剛原作のハードな警察小説で、カーアクションもたくさんあるお話ですね。
ながら観では話についていけず、映像がドライすぎて二度目は観られずでしたよ。
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2019/06/14 16:42
>ななつんつんさん
こんにちは。
私も「吉良も領内で塩を作っていて、うまくできるにはって聞いたけれど教えてくれず」って説を聞いたときに、なるほどって思ってました。現在では吉良領にあった塩田跡は旗本大河内家の飛び地領地と確認されて、塩作りは違うってなったみたいです。
なぜ、刃傷に及んだかは信頼できる史料でも浅野が喋っていないから、謎のままで、だからこそ物語がおもしろくなるのですよね^^
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2019/06/14 13:01
劇場版MOZUがGYAOで
無料配信されていました。
小説から実写化が難しい作品
なので、
すごく興味ありました^^:
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2019/06/14 11:05
kiriさんの名推察 たのしい!
昨日こちらの記事を読んだ時
高校のとき 日本史の先生が話してたのを思い出しました。
「吉良上野介は赤穂の塩づくりの秘伝を知りたかったが
 浅野内匠頭は絶対に教えなかったことで 吉良の嫌がらせ始まったとの話もある。」

「なんで浅野内匠頭は吉良上野介に刃傷に及んだのか編」もたのしみに待ってます^^*
 
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2019/06/14 08:54
>ワニガマさん
おはようございます^^
赤穂藩の士分(武士身分)は史料によると307人で討ち入りしたのは、脱落した寺坂を含めても47人で脱落したほうが圧倒的に多いのに、家老の大野以下、御家大事だからと討ち入りに反対した人たちは不義士っていってひどい描かれ方をしていますね。
忠臣蔵にはいろいろ疑問点があったので書き出してみたのですが、思った以上に長くなっています^^;;
討ち入りについてはもう少しお待ちくださいませm(__)m
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2019/06/14 08:37
>ゆりかさん
おはようございます^^
著者の井沢元彦氏は赤穂事件について、研究者はなぜ史料をきちんと読んで精査しないのかって嘆いています。他の時代については、史料がってこだわるのにこの件だけは忠臣蔵に引っ張られてしまうと。それだけ忠臣蔵が日本人好みに作られて「あるある」って共感できたからなのでしょうね。

泉岳寺は私も参詣したことがあって、実はここに忠臣蔵が現在のかたちのままの理由があります。今現在もたぶん残っているはずなので確認できると思います。気になるでしょうが、理由は討ち入り編までおわったあとでm(__)m

浅野内匠頭が饗応役を務めるのが二度目なら、忠臣蔵の世界は全然違ってきますね。前にもやったのにこんな程度って思われて、お芝居がなりたちませんからね。
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2019/06/13 23:18
 おお! ありがとうございます! いい内容です。
 憶えていらっしゃると思いますが、ワニの先祖は、討ち入りに反対し、赤穂を追われ、刀を捨て、神戸の六甲山のふもとに、仲間と共に村をつくりました。
 映画やドラマで『忠臣蔵』を観ると、腹が立ちます。(だから、観ないようにしているけどね・・。)
 
 つづきを楽しみにしてます。
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2019/06/13 18:16
こんにちは、kiriさん。

おお!すごく説得力がありますね!!
読んでいて、頷くことばかりです^^

確かに、吉良にしても浅野にしても、ドラマの忠臣蔵のような設定だと、腑に落ちない点が多々ありますよね。

儀式の重さを考えると、教育係の吉良が、浅野を失敗させるような真似をするはずないというのは、冤罪の証左になるような気がします。
実は、浅野内匠頭と赤穗浪士が眠る泉岳寺に訪れたことがあるのですが、吉良冤罪説推しだったりします。

浅野が17歳の時に同じ役を務めていた、というのは知りませんでした。
しかも儀式に何回も参加している?
これで間違えたら、完全なバカ殿ではないですか;;
ますます吉良冤罪説が強くなりますね。

なるほど。困るのは人形浄瑠璃や歌舞伎の勧進元でしたか。
商売あがったりですものね(苦笑)

なぜ浅野が凶行に及んだのか?
次回もまたまた楽しみにしてます(*^^*)




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