本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その3
- カテゴリ:勉強
- 2019/06/14 16:38:09
浅野内匠頭は吉良上野介に斬りかかり、梶川与惣兵衛に取り押さえられたのち、城中蘇鉄の間で目付衆の取り調べを受けた。目付のひとり、多門伝八郎が詳細に記録をしたのが「多門伝八郎筆記」で、明治以降の実名忠臣蔵のタネ本となっている。
「逆説の日本史14 近世爛熟編」井沢元彦著によると。
「なぜ刃傷に及んだのか?」との問いに、浅野は「弁明はしません。上様(将軍綱吉)に対してはいささかのお恨みもなく、私の(吉良に対する)遺恨によってあと先も考えずに刃傷に及んでしまいました。どのような罪に問われても仕方がないが、ただ吉良を討ちもらしたのは残念です」(大意訳)
と遺恨であるとは言っているが、どんな遺恨なのかはまったく答えていない。
また、切腹の場として与えられた大名田村右京太夫建顕の座敷で、田村家の家来に伝言の形で赤穂藩の家臣に対して「遺言」を残している。
「かねてから知らせておこうと思ったが、その暇がなく今日止むを得ずやってしまった。きっと不審に思うだろうな」(大意訳)
遺言だがなんのことだかさっぱりわからない。しかし、ずっと以前から知らせておけばよかったということがあって、今日やってしまったということは伝わる。
そして、有名な辞世
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を如何にとやせん
を詠んだとされているが、赤穂藩側用人の片岡源五右衛門との目と目との会話も「多門筆記」以外にまったく記述がない。切腹の場を提供した田村家の「田村家記録」には載っていないのだ。幕府から罪人浅野長矩の監督を命じられた田村家が遺漏なく書き記したのが「田村家記録」で、公務の記録だ。間違いがあってはならない。だから、「田村家記録」にないってことは辞世の句も詠まれなかったし、片岡源五右衛門もいなかったのだ。
ちなみに是枝裕和監督 岡田准一主演「花よりもなほ」は仇討ちのために信州松本から出てきた若侍の物語だが、元禄15年で吉良邸討ち入りと同じ年のお話。タイトルが辞世とひっかけてある。
刃傷に及んだあとの取り調べでも浅野は「動機」を語っていない。なぜだかわからないけれども、急に思いついて吉良に斬りかかった。そして、殺せなかったのを残念だと思っている。
いったいなぜだ? とみんな思ったに違いない。
だからこそ、吉良が執拗に浅野をいじめたとしなければならなかった。そうじゃなければ、今まで一緒に働いていた同僚が突然奇声をあげて襲いかかってくる悪夢を警戒しなければならないからだ。
人間は「自分が理解できる動機」があるか、「自分とはまったく違った種類の人間」と証明されれば、「自分とは関係ないこと」と安心する。「忠臣蔵」はだからこそ、「浅野」は気の毒だね、あんなにいじめられて、それは斬りかかりたくもなるよね。「吉良」はとんでもなく意地悪だからね。ってなる。
しかし、遺恨があるとしても変なことがある。それは浅野が後ろから斬りかかったとしても吉良は死んでないのだ。素人が刀を持って襲ったのとは違う。大名として剣術は基本は習っているはずで、脇差しは刺すものという認識があった。また、烏帽子を被っているのは当然だった。烏帽子には金輪が入っていて刀を振り下ろしても通らない。つまり、ヘルメットを被っているのと一緒で、浅野も被っているのだから烏帽子がどんなものかはよく知っていた。にもかかわらず、脇差しで上から攻撃をしかけている。殺す気があったのかどうかも怪しい。
さらに、遺恨があるならわざわざ殿中でみずから襲わなくても、江戸急進派の堀部安兵衛に「吉良上野介がやっかいだから斬ってこい」と言えばやってくれたかもしれない。殿中で奇声を挙げながらおそわなくてもって話だ。
それでも、浅野は吉良のことが許せなかった。吉良を見て前後もわからず襲いかかって殺そうとした。なぜか。
それは、恋ではないか。刃傷の場面をよく思い出してほしい。吉良は梶川と立ち話をしていた。吉良は饗応役の指導役で、梶川は「殿中でござる」と浅野を止めた人物だ。吉良に恋していて梶川と話していることへの嫉妬なのか、それとも梶川に恋していて吉良に斬りかかったら梶川に取り押さえて貰えるなのかはわからないが、浅野にとってはその場限りのチャンスだった。
戦国時代は「男色」は当たり前だった。だから、恋の相手が男だろうとじいさんだろうと、変ではない。ってことなんだよね。
ってことを思いついたけれど、史料はないので妄想ということで。
井沢氏は浅野が「乱心」したとの説を採っている。「乱心でござる」の乱心だが、乱心ってなあにだよね。
つづく。
こんばんは^^
大島渚監督なら思いついて映画化したかもしれませんね。
現代人は現代の常識でそんなことはあり得ないって考えてしまいがちですが、そこで考える癖をつけるのが大切かも知れないですね。
こんばんは^^
いじめられたわけではなく、儀式のストレスでもなく、何でもない人が突然おかしいことをやり始めるのは発狂したのでなければ、恋だと思ったんです^^;;
恋をすると嫉妬の炎は突然燃え上がってコントロールできないですから。
男色はおたがいの寝首をかくことができるところまで近づくから、信頼のあかしって言われていますね。
この説通りに描くなら、女性が将軍職につく世界となったよしながふみの「大奥」でしょうか。
「乱心」はゆりかさんが考えていた通りの意味で、恋心ではないですよ。
赤穂事件に関しては探せば史料が見つかることが多くて色々解釈ができるところが面白いです。
まだまだ半分なので、また遊びに来てくださいねm(__)m
目から鱗です(◎_◎)
まさか浅野男色説をお考えとは…!
それは、私は思いもしませんでした~。
でも、そうですよね。
当時の時代背景を考えれば、決してありえない動機ではないかと思います。
男色のもつれが原因の殺傷沙汰が後を絶たなかったため、幕府は男色禁止令を出した、と「にっぽん歴史鑑定」という歴史番組で言ってたような。
時代はちょっと違いますが、上記の番組で紹介されてた内容で…
かの有名な武田信玄も、美少年に宛てたラブレターが残ってて(しかも振られてる^-^;)
佐竹義重と蘆名盛隆も、敵の大将同士だったのに、戦場で一目惚れして和睦したとか。
その後、蘆名盛隆は他の男色のもつれで殺害されてしまったようです;;
う~ん、でもそれが真相だとしたら、忠臣蔵のストーリーが全く違うものになりそうですね。
有名な辞世の句が、実はなかった、というのはちょっとショック。
「乱心」というのは、私は精神的な病かな、と思ってました。
kiriさん説も、説得力があって、とても興味深く面白かったです♪
まだ続きがあるのですね。次回もとても楽しみにしてます(*^▽^*)
教えて頂き、ありがとうございました。