本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その6
- カテゴリ:勉強
- 2019/06/19 16:03:04
忠臣蔵が美談なのは、浅野内匠頭長矩が切腹、御家断絶と分かっていても吉良上野介吉央に斬りかかって遺恨を晴らそうとし、御家断絶の後浅野家遺臣が浅野が最後に遂げようとした吉良への遺恨を討ち入りで晴らしたことにある。
幕府がのちに仇討ちと認めたことで、赤穂事件は忠臣の話としてあっぱれとなってしまったのだが。そもそも、浅野は梶川と立ち話をしている吉良を後ろから斬りつけ、吉良は抵抗もできずに倒れている。
これは吉良の家臣が浅野を討つならともかく、どこが仇討ちなのだろう。どこかに理があるのだろうか。
「逆説の日本史14近世爛熟編」 井沢元彦著によると。
浅野の吉良襲撃事件を喧嘩としたのは大石内蔵助良雄だという。「浅野内匠頭家来口上書」という大石が書いた文章が残されている。忠臣蔵だと討ち入りの際に竹に挟んで門前に突き立てられるものだ。
”(読み下し文)
去年三月、内匠頭儀、伝奏御馳走の儀に付、吉良上野介殿へ意趣を含み罷在り候処、殿中に於て、当座忍び難きご御座候か、刃傷に及び候。時節場所を弁えざる働、不調法至極に付切腹仰せつけらる、領地赤穂城召し上げられ候儀、家来共迄畏れ入存じ奉り候。上使の御下知を受け、城地差し上げ、家中早速離散仕り候。右喧嘩の節、御同席に御差留の御方これ在り、上野介殿討留め申さず候。内匠頭末期残念の心底、家来共忍び難き仕合にご座候。高家御歴々に対し、家来共鬱憤を挟み候段、憚に存じ奉り候得ども、君父の讐は共に天を戴かざるの儀、黙止難く、今日上野介殿御宅へ推参仕り候。偏に亡主の意趣を継ぐの志までにご座候。私共死後、若し御見分の御方が座候はば、御披見を願い奉り、是の如く御座候。 以上
元禄十五年十二月 日 浅野内匠頭家来 大石内蔵助
(大意)
去年三月、わが主君浅野内匠頭長矩は、勅使の御馳走役をつとめていたところ吉良上野介吉央殿へ意趣(恨み)を抱くようになり、殿中(江戸城内)において、何か到底我慢できないことがあったのでしょうか、吉良殿に刃傷してしまいました。わが主君の時と場所をわきまえない行為として、不届きであると切腹を申しつけられ、城と領地をを召し上げられたのは当然で、そのために家中は散り散りばらばらになりましたが、この殿中の喧嘩のおりに、同席していた方(梶川を指す)がわが主君をお止めになったので、主君は吉良殿を討ち取ることができませんでした。主君が最後に果たしたいと思ったことが果たせず、その口惜しさはいかばかりか。わわれわれ家来も忍びがたいものがあります。高家のような身分の高い御方にわれわれが恨みを抱くのはまことに畏れ多いのですが君父(主君と父)の仇は共に天を戴かない(殺さねばならない)という言葉もあり、本日吉良邸に討ち入りました。ひとへに亡き主君の遺志を継ぐものであります。もし、われわれがすべて討死し、検死の方がいらっしゃるなら、何卒これをごらんになり、事情をお察しください。
元禄十五年十二月 日 浅野内匠頭家来 大石内蔵助”
元禄十五年十二月 日 浅野内匠頭家来 大石内蔵助
(大意)
去年三月、わが主君浅野内匠頭長矩は、勅使の御馳走役をつとめていたところ吉良上野介吉央殿へ意趣(恨み)を抱くようになり、殿中(江戸城内)において、何か到底我慢できないことがあったのでしょうか、吉良殿に刃傷してしまいました。わが主君の時と場所をわきまえない行為として、不届きであると切腹を申しつけられ、城と領地をを召し上げられたのは当然で、そのために家中は散り散りばらばらになりましたが、この殿中の喧嘩のおりに、同席していた方(梶川を指す)がわが主君をお止めになったので、主君は吉良殿を討ち取ることができませんでした。主君が最後に果たしたいと思ったことが果たせず、その口惜しさはいかばかりか。わわれわれ家来も忍びがたいものがあります。高家のような身分の高い御方にわれわれが恨みを抱くのはまことに畏れ多いのですが君父(主君と父)の仇は共に天を戴かない(殺さねばならない)という言葉もあり、本日吉良邸に討ち入りました。ひとへに亡き主君の遺志を継ぐものであります。もし、われわれがすべて討死し、検死の方がいらっしゃるなら、何卒これをごらんになり、事情をお察しください。
元禄十五年十二月 日 浅野内匠頭家来 大石内蔵助”
斬りかかった理由として「何か到底我慢できないことがあったのでしょうか」とあり、はっきりした原因は書いていない。大石は浅野が吉良に何かされたとわかっていたわけではない。しかし、明らかな傷害事件を「喧嘩」とはっきり書いている。われわれは喧嘩と思っているから両成敗が正しいとも取れる。
お上は浅野の刃傷でルール通りに浅野は切腹で御家断絶。後ろからいきなり斬りつけられた吉良はおとがめなし。問題はなにも起こらないことを、大石がひっくり返したのだ。
つづく。
こんにちは。
この文章を書いたときの大石は全滅したときのことを覚悟していたから、不平不満があるなら確実に書いていたと思われるのですが、将軍家へも幕府へも何もなく、吉良への「何か我慢できないことがあって」斬りつけたのでしょうと推測しかできていないことから、吉良にとっては災難でしかないですね。
大石内蔵助は、そのような文章を書いてたんですね。
「何か到底我慢できないことがあったのでしょうか」って…^^;
家老にも訳がわからないような理由で斬りかかるのはのは止めて欲しいですね~;;
昔は喧嘩両成敗がわりと一般的だったようですが。
確か、戦国時代の武田家の決まりでは、基本は喧嘩両成敗だけど、抵抗しなければ処罰されない、みたいな感じだった気が。
喧嘩もなにも、吉良は一方的に斬りつけられただけなのですから、お咎めなしで何も問題ないはずですよね~。
それがどうして、あのような美談になってしまうのか。
物語が先行しすぎて、今までそんなに深く考えませんでしたが、突き詰めると興味深いですね。
続きを読むのが楽しみです(*^^*)