本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その7
- カテゴリ:勉強
- 2019/06/21 16:29:22
大石内蔵助良雄が刃傷ではなく喧嘩としたのは、刃傷ではどうやっても筋が通らないからだ。筋が通らないのに討ち入っても、本人たちの気持ちは晴れるかもしれないがまったく意味がない。なぜなら、大石が目指していたのは仇討ちではなかったから。
「逆説の日本史14近代爛熟編」 井沢元彦著によると。
大石は浅野長矩の叔父内藤忠勝の件もあり、浅野が乱心であろうと初めから思っていた節がある。早駕籠の第一報は「浅野長矩が殿中にもかかわらず刃傷に及んだ」、第二報では「浅野は切腹、浅野家は御家断絶」とだけ伝わったはずで、「殿中での刃傷」はどんなことがあっても「当人は切腹、御家は断絶」が絶対のルールだから、「喧嘩両成敗」じゃないのは不公平だと思うはずがない。現代のようにいろいろ調べられるわけではないのだから。
国家老だった大石が考えることはただひとつで、弟の浅野長広を立ててなんとか浅野家再興をだったであろう。
叔父内藤忠勝の刃傷は乱心とされて忠勝は切腹となったが、弟の忠知は分地2000石は安堵されて御家は存続した。ということは確実に知っていたはずで、また赤穂事件以前にあった刃傷でも乱心とされてすべて除封(領地を減らされる)されたものの御家は存続を許されている。
浅野家は当主長矩は失ったが、弟君の長広が健在で、判例から言っても御家再興はあると考えられた。だったら、お上に反抗せず捨て扶持であってもお許しがあるのを待つ方が得策だった。事実、大石は江戸急進派の要求をのらりくらりとかわしながら御家再興の嘆願書を何度も出している。ここで討ち入りなんてしたら、浅野家は未来永劫再興のチャンスはなくなってしまうのだ。なにがあっても待つしかなかった。
一方、綱吉は老中3人の「乱心の態」に見えるという進言があったにもかかわらず、断固として認めず、浅野の切腹、御家断絶という厳しい処罰となった。
もちろん、実母桂昌院の叙位問題があって、京都で賄賂を配って下工作して説得し、従一位が許されるめどがついたのに、朝廷からの使者がやってくる直前に、それも使者を接待する会場で、刃傷を起こして、儀式そのものをぶちこわしにしたという怒りもあっただろう。
それよりも、綱吉が出した服忌令という重要な歴史上のターニングポイントがあったからと考えられる。服忌令とは近親者が亡くなったときに喪に服する期間を定めたものだ。
なにを当たり前のことをと思うだろうか? 親が亡くなったときは忌引きがあって家に籠もって喪に服するって、当たり前の社会を綱吉の服忌令が作ったのだ。それまでは武士は怒ったら抜刀して手討ちにされていたのだ。
時代劇でよくある「そこへ直れ」というのは、綱吉以降は「穢れ」を招くとしてほとんど行われなかったのではないか。戦争で敵の大将の首をとってくるのが当たり前だった時代を、綱吉は平和な時代に変えたのだ。
だからこそ、大事な儀式を血で穢した浅野を許せなかったのだ。
つづく。
こんにちは。
浅野を指名したのが綱吉自身で、期待を裏切ってぶちこわしにしたからって可能性もあって。
もしそうなら、赤穂浅野家は跡形もなく消し去りたいって思っても仕方がないかもしれません。
桂昌院の従一位が翌年に決まっているのだから、恩赦で再興を認めていれば討ち入りはなかったでしょうね。
大石は、浅野が乱心だとわかってたんですね。
あの時代ですから、御家存続が第一だったでしょう。
乱心とすれば、過去の事例から御家存続は許された…はずなのに。
それが許されなかったのは、やっぱり綱吉が母の桂昌院叙位をぶち壊されて激怒したからでしょうか??
うーん、まあ気持ちはわかりますけど。
というか、現代の感覚からしたら、吉良が完全な被害者で、浅野には同情の余地なしですが。
御家再興を許さなかったせいで、結局は吉良は討たれてしまうのだから何とも後味が悪いですね~;;
続きも読みに行きます(*^^*)
こんばんは^^コメントありがとうございますm(__)m
お久しぶりだった気がするけれど忘れてしまいました<(_ _)>
日記に挙げている忠臣蔵の見解と分析のほとんどは作家の井沢元彦氏のもので、私のオリジナルは「男色」だけと思ってください。
私も浅野が吉良を襲ったのに仇討ち?とか、脇差なのに斬りかかる?とか、上杉家から応援も入っていたのに赤穂浪士は全員生き残ったのはなぜ?って疑問があって、井沢さんの説がしっくりしたから紹介しています。
大石が仇討ちした理由とか、集団リンチになった理由とか、この続きで出てきます。
平日にアップしますから楽しみにしていてくださいませ。
ちょっと忘れてしまいました。
元レン姫こと、紅蓮姫です。
全部よみましたが、面白い見解と分析に惚れ惚れしてしまいました!
浅野の事件は知ってましたが、
確かに疑問には感じていました。
何故、
・公式の場である、幕府内で刃物による事件を起こしたのか・・・?
・本人がやる必要があったのか?
・そもそも止められる可能性は考えなかったのか?(何故、小刀?)
・吉良という身分の高い、か弱い老人に何故 狼藉を加えようと思ったのか?
(私なら小馬鹿にして通りすぎそうである)
・動機は?(私は当初からいじめはなかったと考えていました)
・予算ギリギリになりながら、吉良討ちをする意味は?(大石の行動が不自然に思えました)
・仇討ちというより、再現ドラマをみると集団リンチのような感じ・・・?
・何故、道でしなかったのか?(当時の良識からすると仇討ちは道でするもの)
いろいろ考えてました。
kiriさんの文章でだいぶスッキリしましたが、
まだ真相は見えてこないですね・・・
歴史は必ずしも正しい真実が見えてこないことの方が多いですが・・・