本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その17
- カテゴリ:勉強
- 2019/07/08 16:42:12
忠臣蔵は現代まで続く国を揺るがす思想が誕生するきっかけとなった。これが赤穂事件の肝で、徳川綱吉は服忌令で日本人を世界でも珍しいくらいに戦いを好まない民族に変えることに成功したが、赤穂事件の後処理で大失敗して、のちのち倒幕にまで発展することをやらかしてしまった。
「逆説の日本史14近代爛熟編」井沢元彦著によると。
討ち入りを行った四十六士の扱いについて、林大学頭信篤は「忠義」を示して君の仇を討ったのであるから「助命」せよ、浅見絅斎は「大義」を示したのであるから四十六士はあっぱれ、三宅尚斎は「君の情」を考えて「実行」したのであるから四十六士はあっぱれ、荻生徂徠は討ち入りは君の仇ではなく「邪志」を継いだ。「君への忠義」であるが、法を守るために「切腹」にするといろんなところの面目が立つ。佐藤直方は「幕府の法」を破ったのだから、全員「斬首」にせよ。と述べている。
現在の忠臣蔵で語られているのは浅見絅斎の論で、多くの日本人にとってしっくりくる。それは、「君がそう思っていたであろう」ことを残された家臣達が引き継いで成し遂げたということにある。しかし、浅野内匠頭が「何を思って」吉良に切り掛かったのかはだれもわからない、証明不可能な話だ。残された人たちが、「さぞかし吉良のことを怨みに思っていただろう」と考えて、「吉良を生かしておくのは心残りで成仏できないだろう」と「吉良を殺害する」という流れを起こしたにすぎない。
それは、「入院中は酒もタバコも医者に禁じられていた」じいさんが亡くなって、葬儀のとき、「棺桶の中にたっぷり酒とタバコを入れる」という供養と大きくは変わらない。これを怨霊信仰という「本人の心情」が何事にも優先される日本独特の考え方だ。
そして「この世に思いを残して亡くなった」死者のために、能や歌舞伎で「死者」を褒め称えたり、「幸せな結末」を用意したりして、「怨霊慰撫」を行うようになった。忠臣蔵では本来なかった「浅野」と「大石」の別れで「恨みの刀」を託され、ドラマでは「片岡源左衛門」との「目と目の会話」があり、「辞世の句」があり、脱落者が何人出ても「討ち入り」を成し遂げる「忠義」が描かれる。対照的に「吉良」は高慢で嫌な人物とされてラストは「みすぼらしい老人」として討たれる。
こうして何度も何度も「忠臣蔵」として上演されることで、「怨霊」となった「浅野と家臣たち」の心情はよく理解できますよと人々が解釈する。
結果、浅見絅斎がおそらくは計算したであろう結末に落ちつく。「大義があるならば、たとえ非合法なものであっても称賛されるべきだ」という。目的が天の意であるなら手段が少々おかしくても許される。倒幕→明治維新しかり、2.26事件しかり。現代でも同じように考える人が多くなっている。
浅見絅斎の罠はいったいなんだったのか。
つづく。
おはようございます^^
赤穂事件の複雑なところは、事実だけを見れば浅野ー大石のラインが一番悪くて厳しく処分で終わるところを、吉良が悪いってだれも証明できないことを持ち出してきて、浅野ー大石のラインを擁護することなのですよね。
君主の仇を討つのは忠義だからっていう朱子学ががんじがらめにしているのでしょうけれども。
現代の考え方にも通じるところがあって、予定よりずっと長くなっています^^;;
その15から、まとめて読ませて頂きました^^
すごい。
それぞれが熱弁をふるった、手に汗握る論争でしたね~。
歴史人物を裁判にかける歴史パロディ番組があったような気がしますが、忠臣蔵は恰好の題材になりそうです。
私は、それぞれの主張を聞いても、やっぱり吉良を擁護してしまいそうですけどね。
なるほど。「怨霊慰撫」ですか。
そういう視点で見ると、確かに納得できる所はありますね。
それが倒幕→明治維新→2.26事件にまで繋がっていくとは…目から鱗です!
次回も楽しみにしてますね(*^^*)