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本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その18

怨霊信仰というのはひらたく言うと「人情」を重要なものと考えるってことだ。本来、現世に生きている人間だけが「気持ち」をもって生きているのだが、故人も「心残り」だったであろうと考えるようになる。人間ばかりか、犬や猫やその他の動物や物やゲームのキャラクターの気持ちまで考えて身動きがとれなくなってしまうのが「日本教」の考え方だ。

「逆説の日本史14近代爛熟編」井沢元彦著によると。

”菅原道真の場合は「生前は無実の罪を着せられて気の毒だったな。せめて罪を取り消し右大臣から太政大臣へ二階級特進させてあげよう」になり、足利義満の場合は「生前は天皇になろうとしてなれなかったのだから、せめて死後は上皇(太上天皇)と呼んであげようか」ということになるわけだ。
そして、その意識がさらに強くなれば、「後醍醐天皇の一族(南朝)は吉野の山で無念の思いで滅びたそうな。実に気の毒な。じゃ南朝を正統ということにしてあげようか」ということにもなる。現在の天皇家は北朝の子孫なのに、かつて敵だった南朝を正統とする。日本以外にも「王家」のある国はあるが、こんなことをするのは日本だけだろう。そして、その皇居前広場には「南朝の忠臣」であった楠木正成の銅像が立ち、東京の鬼門(東北方向)である上野の山には「賊軍」の大将西郷隆盛の銅像が立っている。”

怨みをもって亡くなった人物は「無念」をこの世に残しているがために、怨霊となってこの世に祟ると考えられていた。だから、あなたはこんなに立派な人物です。あなたが正しかったと言い続けることで怨霊が暴れないように押さえ込んでいる。

言い換えれば「自分の良心の呵責」を「怨霊慰撫」することでごまかそうとしているとも言える。

”吉良は高家筆頭の地位にありながら、私意私欲の心から浅野をよく指導せず、浅野が御馳走役として不調法なことをするにまかせた。こうして殿中において浅野に恥をかかせ、浅野を激怒させた。浅野の死は吉良のせいであることはまぎれもない。大礼の場を乱した罪をもって浅野が殺されたのなら、吉良もまた大法をないがしろにした罪によって成敗されるべきである。吉良の罪は逃れることはできない。とすれば、吉良が浅野の敵でなくして、ほかに誰を敵と言えよう。
浅野が私忿のあまり時節をはばからぬ振舞いをしたことは不届き至極のことであるが、浅野は刃傷後一歩も逃げる様子はなかった。公儀に対して一点一毫敵対する意志のなかったことを示すものである。ただ前後を顧みる暇がなく吉良に切り掛かったのだが、もしこれを止める人がなかったら、浅野は吉良を切ってそのまま自害したであろう。喧嘩両成敗の法に当たる。事実は両成敗にならなかったが、この行為によって浅野が成敗されたのなら吉良も成敗にあずかるべきはずである。
大石(以下四十六士)の仕業は終始公儀に対して手向かうことなく首を差し伸べて公儀の処断に身を任せた。泉岳寺で自害しなかったことを不義だというのは訳がわからない。主の仇を討った行為は忠義である。そのあと死のうが生きようが関係のないこと、ましてや公儀の処断に身をゆだねたことは神妙従容たる態度である。命が惜しければどうしてこのような大義を思い立とう。
四十六士は「浅野内匠家来口上」においても公儀に対して一言のうらみもないと言っている。主人が打ち損じたから意趣を継いで仇を討ったもので、まれな忠臣義士である。徒党を組んで戦場の法をなすは大罪だというが、相手次第で少々騒動に及んでも、これほどの大事の前にはわずかな越度にすぎない。それによって彼らの忠義にいささかも傷はつかない。抵抗しない者は殺さず火が出ないように用心深く心を配っているではないか。大義が立ってさえいればそれでよいので、それにけちをつけ、何のかのと毛を吹いて疵を求めるようなことを言うのは間違っている。
(原文「赤穂四十六士論」現代語訳「忠臣蔵第三巻」八木哲浩著 兵庫県赤穂市発行)”

浅見絅斎は吉良を討った大石らを褒め讃えている。ずっと見てきたように、吉良が浅野をいじめた証拠はひとつもないし、浅野はお役目が二度目なので、間違いようがない。吉良は立ち話をしているところを一方的に切り掛かられており抵抗もできなかった。

吉良を「敵」というには無理筋すぎる。それでも幕府はこの論を認めてしまった。なぜ浅見絅斎はこんな無理筋の理論を作り上げたかというと、「忠義」という純粋な気持ちをもっており、君が奸臣に困っているのであれば、遺法であっても取り除くことは正義であるという理論を納得させるためだった。

つづく。





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