本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その20
- カテゴリ:学校
- 2019/07/11 16:16:07
大石ら赤穂浪士による討ち入り後、幕府は四十六士の処分を「切腹」と決めた。林ー浅見ラインの意見をそのまま「大名の家臣(大石のような陪臣)が主君の大名に絶対的に忠実でならば、大名の将軍に対する忠義も揺るぎないものになるに違いない」と考えたのだ。
つまり、幕府は大石らの主張に理があると認めたことになる。
「逆説の日本史14近代爛熟編」井沢元彦著によると。
”切腹させるというのは打首とはまったく違う。死刑は死刑だが、それは「不届きではあるがお前の主張にも一理ある」と認めたことになる。「不正義」ならば「一理」はないはず、それなのに「武士の礼をもって切腹」なのか?”
幕府は討入りの「忠義」という一面しか見ていなかった。だから、亡君を思っての討ち入りであるからはなはだ不届きではあるけれども、忠義は認めよう」となったわけだ。
もし佐藤直方の「全員犯罪者だから打首にしろ」に従ってしまうと幕府の定法通りになって何事も起らず、幕府は安泰のままだ。幕府にとって一番困る「幕府の法を超越する正義がある」という「信仰」が生まれることがもっとも困るのだから。
”大学頭信篤は、いや幕府全体はその危険性にまったく気が付いていない。まさに「墓穴を掘る」とはこのことだ。一方、絅斎はこのことに気が付いて、積極的に「反直方」の論陣を張ったのだ。絅斎は心の底では「林信篤も幕府の役人もバカ揃いだ」と思っていただろう。「君父」ということは「君イコール父」だということだ。となれば親孝行を捨てても倒幕運動に参加することが「正義」になる。それは「もう一人の父」である「天皇」を幕府という「吉良上野介」から救うことになるからだ。そして、幕末そのような草莽の臣が本当に日本を変革したのである。”
浅見絅斎の計略は明治維新となって実を結んだ。忠臣蔵は能や歌舞伎として怨霊慰撫されて神格化されていたが、明治天皇が顕彰したことでだれも触ることができない物語となってしまった。
”汝良雄等固ク主従之義ヲ執リ仇ヲ復シテ法ニ死ス百世ノ下人ヲシテ感奮興起セシム朕深ク焉ヲ嘉賞ス今東京ニ幸ス因テ権弁事藤原献ヲ遣使シテ汝等ノ墓ヲ弔シ且金
幣ヲ賜フ
宣
明治元年戊辰十一月五日 (原漢文 泉岳寺蔵)
明治天皇がみずから忠義を褒め讃えてしまっては官学系の学者はとてもとても「本当のこと」は書けなかったのだろうね。明治天皇がはたして真実を知って絅斎の計略に乗ったことを隠すために贈ったのか、そうじゃないのかは別としてね。
おしまい。
こんばんは^^
ラストの明治天皇が顕彰なされたことからスタートしたから物語は完全に神話になっているってところに着地するように書き進めてました。いろいろ史料を使うとわかりにくくなるってところは難しいですよね。
宮部みゆきさんは妻が「三島屋」のドラマって騒いでいたから明日第四話からですがスカパーで観ます^^
「震える岩』も赤穂浪士のお話が出てきますね。
新しい知識から読み返すと違った部分がみえてくるかもですね^^
美談として現代に語り継がれるほどになってしまうと、
最早、真実はもう誰も求めていないのかもしれませんね^^;
Kiriさんも、読まれていると思いますが、、
宮部みゆきさんの『震える岩』、忠臣蔵を絡めての物語で私のお気に入りです。
そこで浅野の乱心説を始めて読んで、固定概念がひっくり返りました、、
物語の最後に、四十七士を描いた掛け軸に触れ、その中に一人だけ背中を向け、
顔を描かせなかったものがいる…ってくだりで鳥肌が立ったのを覚えています。
また、読み返したくなりました。
読み応えのある投稿、ありがとうございました!
こんばんは。
怨霊信仰は外国人にはあまり理解されない話で、怨霊ってなに?のところから説明しないと理解してもらえないです。吉良は徹底的に悪役とされて怨霊慰撫も有名どころではないですよね。吉良家は赤穂事件の後断絶していて怨霊になる資格は十分なのですが、浅野と赤穂浪士を怨霊としたために吉良はなり損ねたのかもですね。
よくよく考えれば、浅見絅斎によって仕込まれた罠通りに明治維新までつながっていくのはさすがの策略ですね。
こんばんは。
浅見絅斎と明治天皇の顕彰があって、忠臣蔵は物語の話が閉じて神話になって、誰も否定できなくなってしまうのですね。
四十六人か四十七人かっていう寺坂吉右衛門問題もあるのですが、本筋ではないからここでおしまいとしますね。
その18からまとめて読ませて頂きました。
最終回、お疲れさまでした^^
とても興味深く面白い説ですね。
「怨霊信仰」のくだりは、すごくわかりやすかったです。
なぜ罪に問われた人が敬われているのかな?と不思議に思うことがありましたが、そういう風に説明されると納得ですね。
学校の歴史の授業でも、そうであって欲しいものです。
忠臣蔵の場合、怨霊になりそうなのは、浅野よりもむしろ吉良のほうでは?
と思ってしまいますね~^^;
忠義の論理が、まさか倒幕ひいては明治維新に繋がってしまうとは…
幕府は、自分で自分の首を絞めてしまったのですね。
忠臣蔵から繋がる明治維新、思いもよらなかった展開に、読んでいてとてもわくわくしました。
面白い記事を読ませて頂き、ありがとうございました。
次回の題材も楽しみにしております(*^^*)
こうして四十七士の討ち入りは伝説となったのですね!
本当のことは闇の中と。
長文、お疲れ様でした!