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江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その2

これはこの世のことならず死出の山路の裾野なる賽の河原のものがたり”(西院河原地蔵和讃)

地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」の決意で、六道を巡り、苦難を引き受けて、救済の旅を続けているという。子どもなど弱い立場の人々から救うとされていて絶大な信仰を受けている。

江戸には六地蔵があり、品川の品川寺、淺草の東禅寺、新宿の太宗寺、巣鴨の真性寺、富岡の永代寺(代仏寺として上野の浄名院)、深川の霊巌寺とされている。それぞれ、品川宿、千住宿、内藤新宿、板橋宿と巣鴨宿、深川宿に対応していて、これらの宿は江戸時代に遊郭もあって大繁盛したという。

「神の時空 五色不動の猛火」高田崇史著によると。

”旅から帰った人々か、飯盛女ー安い女郎目当てに宿泊したために、とても繁盛したという。おかげで、野菜や川魚を売る朝市までできた。その上、江戸から町民たちもやって来た。高級な遊郭の吉原などには縁遠い一般庶民が、大勢押しけたという。一般に『岡場所』といわれるこの幕府非公認の遊里は、安永年間(一七七二~八一)に、七十カ所にも増えた。そんな遊里は『江戸にては護国寺門前なる音羽町、四谷の新宿、板橋宿、立川宿、千住宿、品川宿等にあり』といわれた。その中でも代表格が、これら品川・新宿・板橋・千住の江戸四宿と深川じゃった。
特に品川宿の繁栄は、板橋や内藤新宿や千住を凌いだという。特に明和元年(一七六四)には、幕府によって飯盛女が五百人まで認められた結果、吉原に次ぐ盛り場となった。ちなみに、板橋・千住は各百五十人だったからな。”

ちなみに遊郭は品川宿、内藤新宿の赤坂、板橋宿、巣鴨宿の駒込、千住宿の千住宿と吉原、深川宿とされている。

三ノ輪の浄閑寺は『投げ込み寺』とも言われ、新吉原操創業から廃業までの三百余年で、遊女、遊女の子ども、遊郭関係者の女性など約2万5千人が葬られている。『新吉原総霊塔』は錫杖を手にした地蔵菩薩が結跏趺坐しており、明治から昭和にかけての川柳作家・花又花酔の「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の句碑が建っている。

”本来なら、吉原には年季ーいわゆる契約期間があって、十年と決められていたから、二十五、六になれば外に出られるはずだった。ところが、中にいる間にまた新たな借金をさせられるシステムになっていたから、なかなか年季が明けない。本当に運良く、お金持ちの人がお客になって、いわゆる身請けをしてもらわない限り、殆ど一生を吉原の中で暮らさなくてはならなかったんだ。”

吉原から出る方法は3つで、年季が明けるか、身請けされるか、死んで浄閑寺に入るかしかなかった。

彼女たちは人を集める役割を果たし、籠に閉じ込められたままで、怨霊となり、地蔵菩薩によって怨霊慰撫を受けている。さらには物語となって歌舞伎の題材として取り上げられてもいるのだ。

つづく。

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2019/07/22 19:11
>ゆりかさん
こんばんは。
吉原は歌舞伎にも映画にもドラマにもなっているから怨霊慰撫的な大きな事件がたくさんありますね。
華やかな世界を保つためには粋を見せなければならず、技術の粋を見せる一方で、別世界っていう闇があります。
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2019/07/22 19:09
>紅蓮姫さん
こんばんは。
江戸の怖いところはだれもわるくないけれど、天候不順とか火山噴火とか地震とか火事で生活が破綻して苦界に落ちなければならないところですね。
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2019/07/19 21:02
こんばんは、kiriさん。

吉原の悲惨さは、「JIN」という漫画で知りましたが…
本当に「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の怖い世界ですよね。
華やかな吉原の闇は深いです。

kiriさんは江戸の町にもお詳しいですね^^
これからどう物語が展開していくのか、とても楽しみです♪
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2019/07/19 17:14
怖いなぁ・・・
江戸の闇みたいな・・・




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