Nicotto Town



江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その3

歌舞伎と吉原は切っても切れない。

「助六由縁江戸桜」「籠釣瓶花街酔醒」などなど吉原を題材とした演目はいくつもあるし、「二の裏は五」と言われるように歌舞伎の中村座と市村座があった大芝居町「二丁町」に対し、江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、二丁目、角町の「五丁町」が吉原だった。のちに中村座と市村座は淺草猿若町に移されて文字通り背中合わせとなるのだが。

「神の時空 五色不動の猛火」高田崇史著によると。

”初めは、現在の中央区日本橋辺りにあった堺町に中村座が、地続きの葺屋町に市村座が置かれ、大芝居町『二丁町』ができあがった。また、今の銀座、木挽町には、山村座と森田屋が興行していた。山村座は、正徳四年(一七一四)の絵島生島事件で廃絶させられてしまうが、残り三座は囲碁も場所を変えることなく興業を続けて追ったんじゃ。ところが、天保十三年(一八四二)、天保の改革の際に突然、江戸郊外の淺草聖天ー後の猿若町に移転させられてしまう。時の老中である水野忠邦が、歌舞伎が市中の風俗に悪影響を及ぼすと考えたのだといわれとる。
しかし、猿若町に移ってからは、狂言作家の河竹黙阿弥が、次々と大衆受けする作品を世に送り出した。そしていわゆる『猿若町時代』という一世を風靡する時代を築いてしまう。そのため、遠く移転させられても、江戸の人々の足は遠のくどころか、吉原と相まって一大江戸文化を築き上げることになったんじゃ。何度となく繰り返される弾圧をものともせず、現代にまで生き残っておるというのは、まさに江戸っ子の意気ー粋を感じるわい。ちなみに、この猿若町という地名は、江戸歌舞伎の始祖である猿若勘三郎にちなんで名づけられたものじゃ。
歌舞伎はまた、江戸の流行の源泉も担っておった。たとえば現在『市松模様』として知られる格子柄は、近松門左衛門の『髙野心中』に登場した、佐野川市松が着用した袴の染め付けが評判になり広まったものじゃ。髪型を流行らせた吉原の勝山太夫といい、市松といい、まさに吉原と歌舞伎は、当時の文化の両輪を担っておった。”

これほどにお互いの距離が近いのはお互いがよく似ていたからだった。江戸時代と言えば「士農工商」と必ず習ったように幕府による苛烈とも言える身分制度があった。いくつかの抜け道はあったにしろ、武家の子は武家、町人の子は町人にしかなれなかった。身分を超えての付き合いはできなかったくらい厳しかった。

吉原と歌舞伎はその身分制度の外にあった。今でも役者のことを「河原乞食」と謙遜していうし、職業に貴賤なしでも夜の商売をしているとあまりよくは思われない。江戸時代では役者も遊女も非人扱いで、被差別人だった。だからこそ、彼らは命がけで傾いて庶民の共感を得たのだ。

つづく。

アバター
2019/07/24 15:26
>紅蓮姫さん
こんにちは^^
商人だと跡継ぎは釣り合うところから嫁を取ったり、婿を取ったり、番頭を婿にしたりってことですね。
商家の丁稚奉公だと番頭になって、通いになるかのれん分けされるかじゃないと嫁は取れなかったと言われています。江戸はもともと女性が少ない構成だったから、ひとり身は多かったはずですね。
武家だと士分を捨てて商家に入ったり、農家にいったりってよくありました。
どうにもならなければ、その日暮らしとか渡世人とかで、非人あつかいになります。

非人は一定の条件を満たせば平人に戻れる(足洗い)こともあるのですが、穢多(えた)身分だと、平人に上がれないということもありました。
穢多の職種は皮革加工職人、履物職人、漁師、猟師、巫女など人の死を扱ったり、血に関係する仕事をケガレとして忌み嫌っていました。ただ、穢多は非人の管理もありました。

身分制度の外なので、税がきちんととれず蓄銭して大きくなったところも多いみたいですね。
アバター
2019/07/24 15:04
>ゆりかさん
こんにちは^^
江戸時代、幕府の政策で歌舞伎も吉原も相撲小屋もまとめてしまおうとしていたらしく、本当に近い位置にあったのですね。
刑場が近い、墓地が近いというのもあって、普段の生活とは違う世界として庶民は考えていたかもしれないですね。
命を賭けて傾いて、庶民が熱狂することで、存在感を出していたからこそ、魅力的なものができたのだと思います。
アバター
2019/07/23 10:15
武家の三男以降は同じ武家に婿入りか、
農村に婿入りして農民になったりしたという話も聞きました。
ちなみに、町人は立場がかなり微妙ですよね・・・?
商家の家の子はどういう結婚してたんでしょうか?
すごく気になりました。

役者と遊女は非人扱い!?
最下位じゃないですか!!
えた、非人がいたことは知っていましたが、
厳しいなぁ・・・
遊女でも身請けしてもらえるのは、幸運な方だったんですね・・・
アバター
2019/07/22 21:38
こんばんは、kiriさん。

江戸時代の遊女は、非人扱いだったのですね;;
その過酷な人生といい、辛すぎます>_<

と思えば…
kiriさんも書いている、勝山太夫の髪型が流行ったように、当時のファッションリーダー的な面もあったわけですよね~?
光と闇の部分の差が激しすぎて、命がけで傾いている、というお言葉がぴったり。

続きも楽しみにしてます(*^-^)




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.