江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その4
- カテゴリ:勉強
- 2019/07/23 16:56:39
『花魁道中』とは豪華に着飾った花魁が禿や新造たちを引き連れて吉原を練り歩くことで、正月や八朔に行なわれていた。なぜ道中かといえば、江戸から京、京から江戸へ歩くことから来ている。吉原がある五丁目町は江戸一丁目、江戸二丁目、京町一丁目、京町二丁目、角町と分かれていたから。
「QED~ortus~白山の頻闇」高田崇史著よると。
吉原が始まりで現在残っている言葉がたくさんあるという。
指切りは
”吉原の遊女が客に対して、自分の誠意を示すために行なった行為で、自ら小指を切り落として相手に贈ったんだ。
しかし、たいていは爪の先だったり、あるいは死んだ人間の指だったりしたらしい。”
お茶を挽くは
”吉原では客のつかない遊女が、待ち時間に茶臼で茶葉を挽かされていたことからきている。そしてこれが、今も寿司屋などで使っている『あがり」になった。
吉原では『お茶を挽く』、そして『お茶』という言葉自体も縁起が悪いと考えられるようになって、客がついて店に『上がる』......『あがり』となった。”
冷やかすは
”淺草辺りで盛んに行なわれていた紙漉き業の工程で、原材料を水で冷やさなければならなかった。そこで、その材料が冷えるまで手持ちぶさただった男たちが吉原へやって来て、買う気も全くないのに遊女たちを眺めたり、格子の外側から声をかけたりして時間を潰していたということからきている。”
”吉原は明治時代、すぐ近くに居を構えていた樋口一葉の作品の題材にもなった.『廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く』の有名な冒頭で始まる『たけくらべ』や、そして『にごりえ』『大つごもり』など、結核によって生涯を閉じるまで多くの傑作をここで生み出している。また、彼女は二十四歳で亡くなったんだが、実際の執筆時期は、わずか一年強の間だった。だから『奇跡の十四ヵ月』と呼ばれている。
この冒頭の『大門』は、もちろん吉原の出入り口にあった唯一の門で、『見返り柳』は『大門』から少し行った場所に立っていた柳だ。朝になって帰る客がこの辺りまで来ると、昨夜の名残を惜しんで後ろを振り返った、と言い伝えから名づけられた。ちなみに今も、何代目かの『見返り柳』が立っている。そして、この『大門』は、非常時を除く吉原唯一の出入り口ということになっているが、実質上人々は、非常時だろうが何だろうが、常にこの門から出入りするしかなかった。”
吉原は別世界だったからこそ、世間とは隔離されていたのだ。
つづく。
こんにちは^^
暑くなると室内にいても熱中症になりやすくなるからお互いに気をつけましょう。
指切りは酒井藍さんが吉本新喜劇で歌っている知らないバージョンのゆびきりげんまんが怖くて面白いですが、そんな遊びのレベルではなくて、粋で命がけってことですね。
他にもいろいろ吉原、歌舞伎発祥の慣用句はたくさんありますよー。
こんにちは^^
吉原って狐にたとえられるように、化かしたり化かされたりの世界なので、自分の指がついていてばれることも遊びのうちだったかもしれません。
そこで、なんで?ってなると野暮ってなって百年の恋も醒めるのでしょう。
吉原や歌舞伎が語源の言葉ってけっこう多いですね。
今日も暑くなりそうですね・・・
指切り以外は全部しらなかったです。
勉強になります。
指切りって、怖い言葉だったんですね~。
あれ?でも、死んだ人間の指を贈ったということは、会った時に自分の指はついてるから、すぐバレませんか?
それ、貰っても嬉しくないです>_<;;
他の言葉も、由来を知らなかったので勉強になります。
吉原の世界も奥が深いですね。