Nicotto Town



江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その10

紀伊国屋文左衛門が紀州のみかんを江戸へ嵐をこえて運んで大もうけをしたとき、江戸は鞴祭があって鍛冶屋の屋根からみかんをばらまく風習があった。

鞴祭は鍛冶屋の神である稲荷や金屋子を祀って鞴を清めるお祭りで、別名踏鞴祀祭りという。踏鞴はタタラ製鉄でも分かるとおり産鉄のことで、鞴を踏むことを踏鞴といった。踏鞴を踏むはここからきた言葉だ。

製鉄は過酷な作業で、火処の管理のために踏鞴を踏みながら火を片目で見なければならず、かならず片目と片脚が悪くなった。製鉄や産鉄の地域ではかならず不動明王を祀るが、不動明王も片目が大きく、鉄剣を持っている。

「神の時空 五色不動の猛火」高田崇史著によると。

不動明王の梵名は『アチャラナータ』というが。

”『アチャラ』という名は『山』を表していることから、和名が『不動』となったという。山の明王じゃ。だからわしは素直に、山からの連想で『ホド』の明王だったのではないかと考えとる。
火処じゃ。
事実、製鉄民の多くは、必ずといって良いほど不動明王を崇めとる。そもそも、明王の顔を見てみろ。

基本的に不動明王は、右目を大きく見開き、左目は細めている。製鉄民に特有の目だ。それこそ「火処」を見続けていたために、片目をやられてしまうー。
そして、手にしている剣は、製鉄民のシンボルだ。

製鉄民は
遠い昔から、常に賎民として扱われてきた。まあこれは、朝廷が彼らを非常に恐れていたという事実の裏返しだがな。彼らには、それだけ力があったというわけじゃ。しかも、なかなか朝廷の言うことを聞こうとしない、アウトローの人間たちだった。そして、不動明王も『色醜く』『醜化』の明王といわれ、常に『忿怒』の表情で、『残食』をしていた。
行者から、残った食物をもらい受けて食べていたんじゃ。
これは、一切衆生の煩悩と悪行を引き受ける意味、といわれとる。だがわしは、そのままの意味に受け取って良いと思っておる。彼の従えている二童子ー矜羯羅童子と制多迦童子の『矜羯羅』『制多迦』は、梵語で『奴僕・奴隷』という意味じゃが、おそらく不動明王自身もそうだったのではないかな。”

歌舞伎俳優の初代市川團十郎は、成田山新勝寺の不動明王と縁が深く、成田屋の屋号がここから来ている。有名なにらみは火処を片目で見続ける目ではないだろうか。

”歌舞伎はもともと、出雲の阿国から発した芸能と言われていますから。そして阿国は賎民と呼ばれる人間だった。実際に歌舞伎の舞台で、役者自身『河原乞食に身をやつし』と表現しているセリフもあります。賎民、つまり『人』として認めてもらえない人間だと。”

出雲の阿国は歩き巫女で遊女だった。歌舞伎と吉原はおなじところでつながっている。

”昔の歌舞伎は反権力であり、インモラルじゃった。有名な演目になればなるほどな。但し、余りあからさまにはできんから、わざと時代を変えたり、名前を微妙に変えて演じた。少しでも不敬があると認められると、手鎖の刑に遭ったり、七代目團十郎のように『手鎖の上、江戸十里四方追放』を食らったりもしたからな。
また『芝居町から一歩も出てはならぬ。どうしても出なくてはならない時は、編み笠を被れ』という通達も出された。”

編み笠を被るのは囚人のしるし。

”そのまま囚人と同じ扱いだったんじゃ。ところが彼らは、その編み笠をお洒落に仕立てて被ったため、町を歩くと若い女性が嬌声を上げて喜んだという。
彼ら役者たちは、そんなギリギリのところで必死に『傾い』ておった。だからこそ、江戸の庶民は熱狂したんじゃ。”

歌舞伎のセリフは現代日常的に使う言葉となっているものが多い。

たとえば『人は見かけによらない』という言葉は『島鵆月白浪』の中のセリフだし、恨みを呑んだ幽霊が必ず言う『恨めしや』というのは『東海道四谷怪談』の『思えば思えば、ええ恨めしい』というセリフじゃ。
またその他にも『腹が減っては戦ができぬ』は『義経千本桜』だし、『ここで会ったが百年目』は『菅原伝授手習鑑』。『バカほど怖いものはない』は『仮名手本忠臣蔵』。『春から縁起が良い』は『三人吉三廓初買』からきておる。それくらいに、普通の生活に浸透しておったんじゃ。”

江戸の人たちは非人として扱われる彼らの発信するファッションやセリフ回しに熱狂して、彼らをもてはやした。幕府がどんなに取り締まっても彼らの人気は落ちることがなかった。

誰も助けてくれず、なにかあると幕府からお咎めがある彼らは、精一杯生きることでみずからの生存証明をしなければならなかったのだ。

つづく。

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2019/08/02 15:51
>ゆりかさん
こんにちは^^
古来から続いているものは、きちんと根拠があって作られたり言い伝えられたりしているのですが、現代人は忘れてしまっているのですね。
能や歌舞伎もテレビで放送しているちょっとしたものでも、観ると面白いのですが、今はきちんと説明してくれる人がいないと、わからないーつまらないになりがちですね。

踏鞴は日本で勢力争いが激しく行なわれるくらいの本当に重要な産業でした。桃太郎も実は産鉄地の吉備の奪い合いで、きび団子は吉備を丸めるから来ているとも言われていますよ。
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2019/08/01 21:21
こんばんは、kiriさん。

不動明王と蹈鞴には、そんな繋がりがあったのですね。
右目を大きく見開き、左目を細めている、というのは…
今までそこに注目しませんでしたが、改めて見ると確かに!
単に怖いお顔ではなく、まさか蹈鞴からきていたとは、びっくりです。

歌舞伎のセリフが、現代日常的に使われているのも知りませんでした。
現代で言う流行語大賞のような?あ、ちょっと違いますかね^^;

今回も勉強させて頂き、ありがとうございました(*^-^)




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