江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その11
- カテゴリ:勉強
- 2019/08/02 16:58:29
日本相撲協会はいまだに土俵を女人禁制とする明確な理由を説明できずにいる。
舞鶴市長が倒れて、人命救助のために土俵へ上がった女性に対しても「命より伝統」と土俵から降りるようにアナウンスして批判された。
「相撲は神事で土俵は神聖なものだから」という理由ではもう誰も納得しない。
日本の記紀神話を読めば分かるとおり、すべて神様は好色で、たくさんの子どもが生まれている。各地の神社で男根や女陰をかたどってご神体として祀るところはたくさんある。
延喜式ではケガレがある場合にはキヨメてもらう必要があり、キヨメの人々が河原者たちーのちの非人であった。
ケガレは人が死んだり、病気になったり、血を流したときなどに発生し、人や動物の死体を片付けたり、病気を治したり、お祓いをしたりすることを貴族たちが蔑視している人たちにやらせた。
この時代は、医師も神官も僧侶も皮革職人も製鉄民も猟師も漁師も相撲取りもみんな賎民扱いだった。ケガレは伝染するから処理する彼らもケガレているという考え方だ。
貴族達がもっとも恐れたのはケガレが際限なく広まってしまうことと、自分達の財産を管理させているケガレの人たちが際限なく増えてしまうことだった。
男性と女性の根本的な違いは、男性は子どもを産めないが女性は産めるということ。つまり、出産適齢期の女性を賎民たちから引き離せば、彼らはどんなに頑張っても子孫を残すことができない。
貴族達にしてみれば自分達が所有している金山に村を作られて乗っ取られたらたまったものではなかった。だから、女人禁制とした。
江戸の悪所は歌舞伎も遊郭も相撲小屋も集められていた。神事といえば聞こえはいいが、人ではないものーケガレとして朱引の外に出した。
「神の時空 五色不動の猛火」高田崇史著によると。
”遙かむかしの製鉄民は、葦の根に付着する褐鉄鉱ー高師小僧を集めて、鉄製品を造っていた。踏鞴製鉄以前の話だな。そしてたくさん高師小僧が付着している葦の根を『スズ』と呼んだ。いわゆる、鈴なりという状態じゃ。
そんな場所が、葦原ー吉原であり、鈴ヶ森だった。
鈴ヶ森に関しては、鈴のような音が鳴る石があったという伝説もあるが、妓楼の入り口に吊してあった鈴を鳴らして遊女を呼んだといういわれも残っておる。また一方の小塚原なども、それこそ古代から製鉄に関わる人々が多く住んでいたために、朝廷や、時の権力者たちから『悪所』と見なされていた。そこでこの辺りに、刑場・遊郭・芝居小屋などが集められんたんじゃー。”
幕府はさらに街道の起点を作り、道祖神を置いた。道祖神は岐の神と呼ばれる。岐阜の岐はくなどと読み、『婚ぐ(くなぐ)』と同音で『男女が交わること』の意味だ。その証拠に、道祖神はかならず夫婦神となっている。
男女の交わりの神を遊郭のそばに祀っていたのだ。
つづく。
こんばんは^^
延喜式も本当は死のケガレ血の汚れ出産のケガレだけで、死をイメージさせるものだけがケガレだったのですが、どんどんケガレの範囲が広くなったのですね。
大昔はケガレは伝染する、鬼は伝染するって思われていました。
鬼ごっこの遊びで鬼がつかまえると鬼になるというのは名残ですね。
女人禁制には、そんな驚きの理由があったのですね。
医師や僧侶って、現代だと尊敬される職業だと思うのですが、昔は賎民扱いだったとなんて。
それにしても「命より伝統」は、現代ではよくわからない感覚だと思います^^;
おはようござあいます^^
女人禁制はいろんな説を読んで、役小角が従えて山を歩く前鬼と後鬼(夫婦の鬼)の話も踏まえると、昔から変わらずじゃないって感じていて、朝廷のものを取られないためっていうのが一番しっくりきました。
今の相撲協会もコメンテーターもきちんと説明できないことなのですよね。
いろんな説があるようですが、どうやら『美しい伝統を守るため』というわけではないようですね^^;