江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その12
- カテゴリ:勉強
- 2019/08/06 19:39:05
聖天は娘の拝む神でなし
吉原の本地はまこと待乳山
江戸川柳で詠まれた待乳山聖天は、良縁成就、夫婦和合、子孫繁栄、無病息災などの御利益がある隅田川沿いにあるお寺だ。本尊は十一面観世音菩薩が大聖歓喜天となって民を救ってくれるという。
「神の時空 五色不動の猛火」高田崇史著によると。
”この寺院は現在、浅草寺の子院の一つじゃが、江戸時代中期には、境内二千七百八十二坪もあり、聖天の祀られている小山は海から一目で見つけることができたという。今からおよそ三百五十年前、寛文までは『当山の森、沖より入津の船の目当てなりという』といわれ、歌川広重の絵にも描かれているように、極めて風景の良かった場所じゃた。それが江戸時代に全て削られてしまった。”
湿地帯だった江戸市中の埋め立てに使われたというのもあるが、
”奈良県五條市と和歌山県橋本市の境の、大和街道にある平坦な丘を『真土山』『待乳山』と呼び、この地で空海が秘伝の膏薬を作ったという伝説があるように、ここから『砂鉄』や『水銀』が採れたんじゃろう。
そして、おそらく淺草の待乳山も、産出したと思われる砂鉄や水銀を奪われたんじゃろうな。そして、吉原に関係する人々を供養する寺院の一つとなった。”
投げ込み寺の一つ、道哲和尚という僧が開基した西方寺が猿若町の近く、吉原を挟んで浄閑寺と対称の位置に存在していた。今は西巣鴨に移転していて伝説の花魁の高尾太夫の墓がある。
”待乳山聖天の本尊は、歓喜天。男女が抱き合っている像じゃ。しかし、もちろんそれだけのことで娘が拝むなといわれたわけではない。ここの寺紋は二股大根を組み合わせた『違い大根』と『巾着』なんじゃ。
”もちろん、一般的には、『大根は、白く清浄で健康。巾着は、商売繁盛』『違い大根は夫婦和合・子孫繁栄』
つまり、大根は人間の深い迷いの心、瞋りの毒を表すといわれており、大根を供えることにとって聖天がこの体の毒を洗い清めてくれる。巾着は財宝で、商売繁盛を表し、聖天の信仰の御利益の大きいことを示すのだという。しかし虚心坦懐にそれらを見れば、組み合わさった大根は『男女の性交』であり、巾着は『女陰』であることは明らかじゃ。
しかも吉原の、一カ月に何時間か外に出ることを許されていた花魁は、その際必ずこの寺に参拝したというし、実際に彼女たちが奉納した石碑もある。となれば、この寺の山門をくぐってすぐ左手にある『歓喜地蔵尊』ーいわゆる、子育地蔵尊も、彼女たちと無関係とは思われんな。そもそも『待乳山』という名前が、悲しく哀れではないか。”
待乳山は製鉄民の土地だったが、すべてを奪われてしまったところだ。現在は浅草寺の子院だが、浅草寺もすべてを奪われた場所だった。
つづく。