がん患者の家族の家族
- カテゴリ:日記
- 2019/08/15 13:38:20
家族ががんになって、何が一番つらいって、家族のため息を聞くことだ。
母の重苦しく吐き出されるため息を毎日聞かされることは、呪いに等しい。
母のため息は、現状やふがいない子供たち(私や妹)を恨んでいるように聞こえる。
私も思う。この親のもとに、どうして生まれてきたのかなあと。
父の再発が発覚してから、毎日、がんブログを渡り読みしている。
ブログトップランキングで見つけた、「ばぁば」さんの「老いの錯覚」。
http://blog.livedoor.jp/natsu_snooker-oi/
がんが再発されたばぁばさん、素敵な方だ。
私の母より年上のようだが、とても前向きで、いろいろなことに興味を持ち、娘さんと仲良くやっている。
私もこの人が親だったらよかったのに、と、うらやましくて涙が出てくる。
私の母は、何も学ばない。
わが家でもいろいろな問題が起きたが、現状を恨み、悲観して周りのせいにする性格は、ほとんど変わらない。
インターネットは怖がって使わない。本も読まない。
学ばない、変わらない人は、本を読まない。
本を読まない人に限って、テレビのいうことだけは聞く。
母を見ていると、本を読むことの大切さを教えられる。
私の妹も本を読まない。
父も昔はまったく本を読まなかったが、年を取ってからは、流行りの小説ぐらいは読むようになった。
しかし、それだけだ。
この家で本を読むのは私だけだ。私だけが異端である。
読書は大事だよ、とよく言われるが、本当にそうだ。
本を通じて、いろいろな経験や考え方が身につく。テレビで摂取する情報とはものが違う。
自分の頭で考え、別の見方でものごとをとらえる力は、読書でなければだめだ。
親はよく、自分の思い通りにならない子供を見て「育て方を間違った」と言うが、それはまったくその通りである。
私の両親も、虐待こそないが、たいがい育て方を間違っていた。
育て方を間違われた子供がどうやってまっとうな人生を歩むかは、子供の生来の性格と、家庭以外の社会の接し方にかかっている。
運が悪い子供は、そのどちらかを間違えると、取り返しのつかない方へ転落していく。
そうならないようにするには、知識が必要だ。
人との出会いが難しいなら、優れた本や、ブログに接することが、道を踏み外さないきっかけになるだろう。
ばぁばさんは、ブログの中で、「この体は神様からの預かりもの」と書かれていた。
摘出した肺や乳房を、神様にお返ししたと書かれていて、目が覚めた気分だった。
そうだ、私もこの世では借りものの体で生かされているのだ…。
給料が低くて悩んでいるが、最低限、生活はできている。この縛りで勉強しなさいということだろう。
しかし、やっぱりしんどいのですよ。
神様、つらいです。
地雷の塊のような母に接することも、病がどちらにも進展しない父のことも。
家に金を入れない妹のことも。
心の中で叫んでみるが、神様もつらいだろうなあと思う。
自分が泣くこともつらいが、人にとって最も苦しいのは、他人の悲しみや怒りを受け止めることだ。
毎日毎日、人間からの悲痛な叫びを受け止めている神様は、同じように心を痛めておられることだろう。
それでも、黙って聞き入れてくださる。苦しみを訴える人が泣いていれば、同じように涙を流してくださる。それが神様の優しさなのだ…。
ブログに書くという行為も、不特定多数の誰かに、つらさを受け止めてもらいたい気持ちの表れであるけれど、読んだ人が、「ああ自分と同じだ」と思ってくれたら、書いた側も、読んだ側も救いになる。
願わくば、私のとりとめのない文章が、ほんの少し読み手の心を軽くできたらいいなと思っている。