Nicotto Town



江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その19

家康を祀る日光東照宮はなぜ東照大権現なのか。
これにはもちろん意味があって、天海が造り上げた霊的な江戸守護である以上、他のことばではダメだった。

日光では東照の他に日本などもあってと説明してもらえるが、日本大権現とつけることはありえなかった。それは家康の出自と関係するからだ。

「QED 東照宮の怨」高田崇史著によると。

”天海は自ら京に赴いて、朝廷から『東照大権現』『東光大権現』『霊威大権現』『日本大権現』の四案の神号を受けとってきた。そして、これらの中から『東照大権現』が選ばれ、それが家康の神号となったわけだ。しかし、四案といっても、少なくとも『霊威』と『日本』は、最初から選ばれるわけもなかった。
家康の生母、於大の方が、薬師如来を祀る三河の鳳来寺に願を掛けたところ、見事に受胎した。そしてその時薬師如来をお護りしている十二神将のうち、虎童子ー宮毘羅ーの姿が消えたという。やがて、天文十一年(一五四二)、壬寅の年、寅の刻に家康が誕生した。ここから家康は、薬師如来の再来であり、虎童子に守護されているという伝説が、生まれたというわけだ。”

家康の薬好きは有名で、『万病円』という薬を自ら調合するなど、下手な医者よりも薬の知識は豊富だった。薬師如来の再来との伝説を意識していたとも思えるくらいの薬マニアで、晩年に鯛の天ぷらを食べ過ぎて腹痛を起こした際も、『万病円』「銀液丹』を大量に飲んで、侍医の片山宋哲の進言も無視して治療が遅れたとも言われている。

”薬師如来というのは、正確には、薬師瑠璃光如来ーバイシャジャグルのことだ。別名を大医王仏ともいわれ、この世のあらゆる疾病の治癒や延命、息災をもたらしてくれる仏だ。天武天皇が皇后の病気平癒を祈って、薬師如来像を発願して以降、大寺院の本尊として、しばしば造像された。今も、比叡山延暦寺の本尊となっている。その姿は、右手施無畏印で、左の手のひらの上に薬壺を載せている姿が、平安時代以降、一般的となっているね。薬師如来は衆生を救うために大願を立てたといわれている。それは、

『相好具足 光明照被 所求満足 安立大乗
持戒清浄 諸根完具 除病安楽 転女成男
支邪趣正 息災離苦 饑餓飽満 荘具豊満』

の十二の願だ。そしてこのうちから、除病安楽が、薬師如来の最大の功徳と考えられるようになった。特に眼病だ。そこで『向かいめ』といわれる絵馬を寺院に収めるという習慣も残っている。
そして『薬師如来本願経』によれば、薬師如来の仏国土に二菩薩ありて、一を日光、二を月光と呼び多くの諸菩薩の上首として、薬師の正法を保つーという。これらが、日輪を載せた蓮華の茎を手にしている『日光菩薩ースールヤプラバ』またの名を、日光遍照大師であり、月輪を載せた蓮華の茎を手にした『月光菩薩ーチャンドラプラバ』またの名を月光遍照大師と呼ばれている菩薩だ。また、これらの菩薩とともに、薬師如来には時間と方位を司る、十二神将が眷属として加えられた。宮毘羅は、そのうちの一人というわけだ。この十二神将は、薬師如来の名号を唱える者があれば、これを守護とすると釈迦に誓っているし、薬師如来はなかなか位が高い立派な如来だ。
薬師如来といえば、
東方瑠璃光浄土だ。そして、東は万物生成の方位になる。だから、どうしても天海としても『東』の文字は使いたかっただろう。”

それだけ家康を薬師如来にすることにこだわったわけがある。

つづく。






Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.