父を見舞ったこと
- カテゴリ:日記
- 2019/09/02 15:22:33
昨日、父を見舞いに行きました。
命が危ないと母が言うので、やっと現実に向き合う決心をしました。
知らせを受けた、叔母夫婦と伯母、いとこたちが駆けつけてくれました。
叔母は、父の母の妹で、伯母は、昨年亡くなった父方の伯父の奥さんです。
いとこの一人は叔母の娘で、関東の大学病院の看護師長をしており、この1か月、父が治療らしい治療を受けられなかったことに非常に憤っておりました。
私たち家族が医療の素人ということもあり、現状に流されるまま父が苦しんでいることに、同じ医療関係者として怒っているのです。
みんなで市民病院の父の病室へ行きました。
狭く、あまりきれいとはいえない個室で、ボコボコと恐ろしい音がしていました。酸素吸入のための液体が泡立つ音です。
やせ細った体に、尿道カテーテルやモルヒネなどの点滴の管がいくつもつながれていました。
仰向けに寝た父の顔は、年を取った赤ん坊のようでした。
亡くなる前に会った、祖父(父の父)を思い出しました。本当にそっくりでした。
顔色は呼吸苦で白っぽく、酸素マスクに覆われた唇も色が薄くなっていました。
チアノーゼというのでしょうか。
眉間にはきついしわが寄り、がんの激痛に耐えていました。
それでも目だけは澄み切っていて、今にも死ぬとは思えませんでした。
これが今の父なのだ、と、半ばぼうぜんとしました。
それでも、なんとか明るい声が出せました。「来たよ」と言って父に手を差し伸べると、すぐに両手ですがるようにつかんで、さすってきました。
私の手が冷たいと言いました。ここに来るまでにバスで1時間冷房に当たっていたので、冷えていたのです。
普段は冷たかった父の手は、私より熱いくらいでした。
私が来るのをずっと待っていたんだ、この1か月。切ないのに涙は出ず、嘘みたいに明るく、家にいる犬たちは大丈夫だから、などと話しかけていました。
父は疼痛に加えて、息が苦しいので声も出せず、ほとんど手振りでこちらに意思を伝えていました。
妹は結構しっかりしていて、赤ん坊の世話を見るように父に接して、献身的に世話をしました。介護士になろうかと考えたこともあったと話していたので、案外向いているのかもなと、この時思いました。今からなってもいいんだよ?
そして周りも、父のちょっとしたしぐさなどに、赤ん坊が笑った泣いたみたいに反応して、暗くならないように努めていました。
父は自分のことに必死なので、周りにほとんど反応できていませんでした。
父は誤嚥性肺炎をおこしており、それは、無理に飲んだり食べたりした結果だと看護師長のいとこが話してくれました。
痛みや呼吸苦で食事が摂れないにもかかわらず、通常食を出すよう指示していた主治医や、それに異を唱えない看護師たちの怠慢をただすため、彼女が主治医と話がしたいと訴え、母、私と妹、彼女とで主治医からの説明を聞くことになりました。
いとこは自分が医療関係者だと明かした上で、この1か月、家族に詳しい説明をせず、患者の訴えにも向き合わずマニュアル通りの医療を行ってきたことを、専門用語をふんだんに交えて舌鋒鋭く主治医へ畳み掛けました。
先月担当が代わったばかりだという若い呼吸器内科の医師は、いとこからの”口撃”を受けると表情がうつろになり、ただ繰り返し、「患者からそういう要望が来ていないから」と言いました。
医師たちの言うことはもっともでした。
父が痛みを我慢してナースコールを押さなかった、呼吸苦もあまり上手に伝えられなかったということもあり、医師たちも「これでいいんだろう」と思ったのでしょう。
「でも家族や患者は素人なんです、どうしてほしいかなんて言いようがないんですからね!」的なことを、いとこは言いまくり、近くで聞いているほかの医師や看護師たちへも、マニュアル通りにやるな、患者の状態を見て判断しろと訴えました。
ほかにもいろいろとクレームをつけてくれました。実に、実に頼もしかったです。この人が身内でほっとしました。
ちなみに母親である叔母は、大変なおしゃべり好きでおせっかい焼きなので、親譲りなのだと思います。
それでようやく、麻薬の量を増やして、酸素マスクからチューブで直接濃度の高い酸素を送ってもらえることになり、さらに、首の近くの静脈に直接栄養素を送る点滴も処置させるよう、いとこが注文を付けました。
栄養点滴はその時点でやりませんでしたが、酸素などの処置で、父の顔がだいぶ和らぎました。
昼になり、妹が父を見ると言ってくれたので、見舞いの者全員で、外に昼食を食べに行きました。
近くの焼肉屋に入ったのですが、私は食欲がなく、無理やり肉を飲み込んでいました。そこへ、妹から父の脈拍が急に上がったと電話がかかってきました。看護師長のいとこに代わって、すぐに戻った方がいいということになり、店を出ました。
父は頻脈をおこしており、心電図の数値は180にもなって緊急音を発していました。それなのに、なかなか看護師や主治医が来ません。
やっと来たと思ったら、父の処置が非常に遅く、それでも数十分くらいだと思うのですが、とてつもなく長い時間に感じられました。
父が死ぬかもしれないという不安より、現実味が湧かず、半ばぼんやりと早く終わってくれることを願っていました。
やっと処置が終わりましたが、心電図のピンポン音は鳴り続けていました。
緊張から解けたせいか、父の死を間近にしたショックなのか、急に胃がむかついて、個室の洗面所に吐いてしまいました。
父は肺腺がんで、骨や肝臓転移もあり、末期なので根治はありません。
原発を見つけるのに時間がかかりすぎ、遺伝子検査に回した結果次第では、肺の治療に移れるとのことでしたが、寿命を延ばせる保障はありません。
それでもきっと治ると本人は信じていて、周りは「きっとよくなるから。転院できるまで頑張ろう」と励まし続けています。
主治医たちに、とにかく苦痛を減らして、残り時間を家族と過ごせるようにしてくれといういとこの訴えを聞きながら、ああ、本当に父は余命わずかなんだな、とぼんやり感じました。
そして今日も父を見舞いに行きました。
処置のおかげで顔色はいくぶんよく、かすれていましたが、しゃべれるようにもなりました。
あとは車いすでも動けて外に出る時間ができれば、わが家の犬たちにも会えます。
そのために、少しでも体力をつけて最後の時間まで穏やかに過ごせればいいというのが、みんなの願いです。いとこの訴えからも、そこが強く読み取れました。
父のために親身になってくれる親族たちに感謝しています。
そしてこの試練は、私や母、妹、父の心のありようが良い方向へ変わるためのイベントだと思っています。
ついでに、いとこに発破をかけられた、ちょっと情けない医療チームたちの変化になるといいです。
昨日の出来事を見ていて、ひとりの人間(病気の父であり、いとこであり)がこれだけ強く周りを動かすんだということを知りました。
人間は、一人一人が本当に重い存在なんだということを。
返信遅れて申し訳ありません。
おっしゃる通りです。当時は、母も気配を感じるなどがありましたし、父の友人は全員、父の供養に行った日に激しい頭痛があったそうです。
霊に話しかけられると頭痛をおこすらしいので、父があいさつ回りに行ったんですね。
私も毎日霊前に線香をあげています。
後始末はほどほどに片付いてきたので、少し余裕ができています。それも、妹や母も頑張っているおかげです。
あ、私は普通に父を、「おど」ではなく「お父さん」と呼んでいました(笑)
母は「とっちゃん」妹は「おとさん」
全員呼び方が違いましたw
我が家でも 大事な家族がなくなったときは
不思議なことがたっくさん起きました。
おどさんにしっかり寄り添って
できることをしてあげるのが 供養だと思います。(◍•ᴗ•◍)
まだまだ いろいろな後始末の先は長いけど
それが おどさんとの繋がりだと思って
気長に~頑張ってくださいませ。
頑張りすぎて お疲れがでませんようにね~♪
そうですね、人生は後戻りできない。前にしか行けないんですよね。
私より、母や妹が頑張ってて、まったく役に立ってないかもしれない^^;
私ができることは、いつも通りふるまって、非日常にならないように道化になることです。
一緒になって泣き崩れたら、お互い立ち上がれないと思うので。
そのせいで逆に怒られたりするんですが、その分みんなめそめそしないので、効果はあるかなと思ってます。
じゅらさんの応援、心に沁みます。いつもありがとうございますね。
無理やり前向きになっているというか…。私がうじうじしていたら、家族や周りが困りますからね。
もう、昔の私ではいられません。
全部終わったら、一人でこっそり泣こうと思います。
トゥさんのお心遣いも、本当にうれしいです。いつも優しくしてくださってありがとうございます。
お気持ち本当にうれしいんですが、やっぱり狩りの時は現実と分けていたい気持ちです。
それでもどうしようもなくなった時は、聞いてくれるとありがたいかなw
トゥさんも、何かあったら遠慮なく言ってくださいね。
引き返すこともできません。
だから 前に進むしかないんですよね。
ご無理し過ぎず できる限り前向きな気持ちで
頑張ってください。 遠くから応援してます
どの記事にも前向きな言葉が入っていて、こんなに辛く大変なときでもそう言える蒼雪さんは、本当にやさしい立派な方だと思います。それだけに胸が痛くなりました。
見守ることは静かな行為ですけれど、わたしは心の闘いのように感じます。
一人じゃありませんから、もっと弱音吐いたって大丈夫ですよ。
身近な方に言いにくい何かがあったら、わたしは集会で最後まで残っています。よかったら吐き出して帰ってくださいね。
ご家族みなさんが穏やかに過ごせますように。
そして今まで言えなかったことや伝えたいことを、たくさんお話できますように。
少しでも元気そうに見えると、それが永遠に感じられてしまいますよね。
会える時は、会った方がいいです。本当にそう思います。
お気遣いありがとうございます。
父の見舞いに行かず、母にまかせっきりにしていた私や妹にも責任はあると思います。
でも本来なら、やっぱりそこは病院側で気が付いてほしかったんですよね。
国公立の病院は、そういうのが多いんでしょうか。妹の話だと、人手が足りない上に、各部門との連携も取れていないそうです。だから、担当医が引き継ぎになったときに、「これどうしよう」ってなる。
医師不足の問題もさることながら、もう少し患者に向き合ってほしいですよね…。
見舞いもなるべく行ってます。もう本当に、長くないです。
仕事でもぼんやりしてミスしたりして、うん、疲れてますね。
でも、もう少しの辛抱ですね。励ましとお気遣い、ありがとうございますね。
お父様も頑張っていらっしゃるので、今を大事にしたいですね。
お気遣いありがとうございます。
実家まで遠いので様子を見ることは出来ませんが、
なるべく電話して話をしたいと思います。
いとこさんの口添えのおかげの酸素やモルヒネの処置ですぐ状態がよくなるとは…よほど治療が足りていなかったのですね…
かかっておられる病院の鈍さに憤ります
私が昔かかってた県立の病院がそういう感じの先生が多かったので、その空気感を思い出してイラッとしてしまいます…
どうか父上が少しでも楽に過ごせますように…!
蒼雪さんもかなり堪えておられることでしょう…
夜は眠れていますか?
少し無理してでも、何か食べてくださいね
後悔のないように、お見舞いもたくさん行ってくださいね
入院患者のいる病棟は、恐ろしく静かなんですね。音楽とか流せばいいのにと思うくらい。
消毒薬のせいなのか、見舞いから帰ると病院のにおいが服に染みついて、洗ってもなかなか落ちません。
あの場所にいるのが自分だったら、同じ状況だったら。考えると、私だったらぼんやりと早く死にたいなと思ってしまいます。
父も相当さみしがっていると母が言っていて、だから、私や親せきたちが見舞いに来た時、とてもうれしかったと思います。
嚥下障害が起きていることを、説明がなかったために父も母も知らなくて、栄養ドリンク(カロリーの高い紙パックのあの飲み物)を、私たちが見舞いに来た時、一生懸命飲もうとしたんです。苦しくて食欲がなかったのに。
頑張って元気をつけようとする姿に、生きる意味を目の当たりにした気がしました。
結局飲み込めなくて、吐いてしまったんですけど…。
いとこが主治医に、酸素マスクから酸素チューブへの交換と、呼吸器と同じ作用をする点滴の指示を出してくれたので、顔色が良くなってよくしゃべるようになりました。
モルヒネも増やしたので、効いている間は苦痛もないから、自分が元気になっていると思っちゃって。
それらを外したら、心臓に負担がかかり、すぐにもたなくなる命なんですが…。
それでも、元気そうに見える父を見ていると、もしかしたら良くなるのかもしれない、と、いろんな恐怖が消えました。私の気持ちが、現状を受け入れたのかもしれないです。
じゅらさんのおっしゃる通り、父が静かに逝ってくれることが願いです。
元気な時の親の姿と、現在の弱った姿を頭の中で比べると、もう泣きたくなりますよね。
でも泣けなくて。そして、あえて考えないようにもしています。あの時もっと早く別の病院で検査していれば、とか、もう過ぎたことですから。悔やんで病態が良くなるなら、みんな助かってますし…。
蘭さんのお父様も心配ですね。そのまま元気な状態がずっと続くことをお祈りします。
死ぬか生きるかは、寿命だと私はもう悟りましたけど、父はそういうのを信じないので、最後まで治療して治ることしか考えてないので。
もし完全に治療法がないと知ったら、どんなに絶望するか…今はただ、なりゆきに任せるしかないです。
看護師長のいとこが口添えしてくれなかったら、父はこのまま苦しんで命を落としていたと思います。
こうして父が助けられるのは、父がいとこたちにいろいろと恩義になることをしていたからでした。
ちょっと気前の良すぎるところもありますが、人にしたことは何かで返ってくるんだと、このとき実感しました。
父方の祖父や伯父も肺のがんや繊維症で苦しんで亡くなっているので、父の恐怖も深刻なものです。
だから、もし最後を迎えるときは、その苦しみだけは避けて逝ってほしいなと願っています。
パミタンさんもそういうご経験があったのですね。
身内が大変なときに力になってくれる人たちは、本当にありがたいですよね。
身近な親族が少ないので、ありがたみが心に沁みます。
お気遣いもありがとうございます。たった2日間がとても長く感じられます。
父があとどのくらい持つのかわかりませんが、私も体力を減らさないようにしたいです。
なんだか 命のエネルギーを吸い取られていくような
気になりますよね...
だから 入院されている方たちが どれだけ心細いか
どれだけ心の苦痛を味わっているか。。。
人の生きる道は さまざまではあるけれど
できることなら 最期まで安楽でありたいと 願ってしまいますよね。
お父さまが ちょっとでも息をするのが楽になり
穏やかな時を過ごせることが 今一番の 治療なのかもしれませんね。
お父さま そしてご家族 蒼雪さまにとって
貴重な瞬間(とき)を 穏やかに 少しでも和やかにお過ごしできますように。
ベッドに横たわって点滴をしている姿を想像するだけで涙してしまいそうです。。
ちょっとわたくし事ですが・・・私の父が何年か前に脳動脈瘤が発見されたんです。
手術して完全に切除できるかと思いきや、その脳動脈瘤のある場所が
手術できない所にあると言われたみたいで今もそのままなんですよ。
この間、お盆に帰って父の様子も見てきましたが、見た目じゃ分からなくてとても元気そうでした。
もちろん、定期的に病院で治療はしてると思いますけど、
いつ破裂するか分からない状態って恐いなと思います。
話がそれてしまってスミマセン。
蒼雪さんが強がることは無いですが、無理だけはしないでくださいね。
お辛いですね…。
いとこさんのお力添えがあって本当によかったです。
気持ちがわかるとはとても言えませんが、お父様、蒼雪さん、ご家族・ご親族の皆様が、
少しでも心穏やかに過ごせるようお祈り申し上げます。
もう随分前のことですが
私 兄がもう危ないって言われ でも叔母が急遽転院させ無事退院できたり
母が危ない時病院に看護師のいとこが居てくれやすやかに逝ってくれたことがあります
周りの人に助けられ
今でも叔母やいとこには感謝しかありません
蒼雪さんも心強いいとこの方がいらして良かったです
お父様の体調心配ですね なおのこと一層 蒼雪さんも体調には気をつけてくださいね