江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その27
- カテゴリ:勉強
- 2019/09/02 16:32:17
浅草寺の聖観音様の功徳が4万6000倍になることから、四万六千日と呼ばれる7月9日、10日の縁日は、ホオズキ市が開かれる。
「QED 伊勢の曙光」高田崇史著によると。
”酸漿はー
ナス科多年草。学名を『Physalis alkekengi』。漢名を『鬼灯』。英名を『Chinese lantern plant』。そしてわが国の古名は『カガチ』『ヌカヅキ』だ。『和漢三才図会』には『湿によく作用し、熱を除き、肺を清くする。咳を治し、痰を消す』とある。そしてまた『中の白子をえぐり出して捨て、虚殻にし、小児はこれを舌の上に含んで圧さえ吹いて音を出して遊ぶ。また吹き拡げると提燈に似ている』と書かれている。しかし、もちろん酸漿の薬効はそれだけではない。
もっとも有名なものは、子宮蠕動運動促進、そして子宮緊縮作用ーつまり、堕胎薬としての効能だ。
江戸の昔はー
七月半ばにおいて、まだ妊娠している女性は、暗黙の了解の内に堕胎させられたという。秋の稲刈りの人手が足りなくなってしまうからだ。
そのために東京・淺草では、七月に『ホオズキ市』が開かれ、お盆には各地で酸漿が飾られる。地方によっては、盆の霊のお迎えに『ホオズキ提灯』なるものを下げるところもあるようだが、もちろん迎える霊の中には、生まれる前にあの世に行ってしまった子供たちの霊も入っていたことだろう。”
酸漿だけではなくチョウセンアサガオも堕胎薬として使われたという。
全員が働き手であった時代は、子だくさんでなければ働き手が確保できなかった。その大切な子どもでさえ、農繁期には流さなければならないほどに貧しかったのだ。
そしてもうひとつ。昔は神域は女人禁制だった。なぜなら、女性が入ってしまうと子どもができて神の勢力が増してしまうからだ。
男だけの村にすればどんなに頑張っても人は増えない。
淺草は金が採れたはずと言われている。だから、人足のために遊郭があったと考えるのが普通だ。むかしむかしは移動の自由は認められていなかった。支配階級の武士でもだ。参勤交代は戦争中という建前のもと、軍事訓練の一環として行なわれていた。
だから、吉原や歌舞伎の悪書は淺草に集められ、至れり尽くせりの歓楽街ができあがった。子どもが出来たら酸漿が買えるようになど。
江戸は日光を北において、霊的な呪で守られていて、庶民たちの不満をうまく抜くように作られていたのだ。
つづく。
おはようございます。
昔から言われていることはちゃんと理由があるのですが、みんな忘れてしまっているのですね。
また遊びにきてくださいね。
ありがとうございます。