江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その29
- カテゴリ:勉強
- 2019/09/04 16:54:23
江戸は朱引内を中心として、周辺の守りとして桜の名所、相撲小屋、刑場、遊郭、宿場町などなどの盛り場を配置し、江戸城は寛永寺、増上寺、護国寺の三角形で囲んで霊的な守りを固め、北の地に日光東照宮をおいて、日光、江戸、鎌倉へ至る縦のラインを形成し、久能山、鳳来山、岡崎、京都へと西に引っ張るラインを作って、敵を押さえ込んだ。
慶応3年10月14日の大政奉還で徳川宗家の政権は終了したが、西郷隆盛は徳川慶喜を朝敵として、恭順の意を示しているにもかかわらず「ぜひ切腹までには参り申さず候てはあひ済まず」とどうしても切腹させたいと言い放っていたのだが、江戸は無血開城、徳川慶喜は家督を田安亀之助(徳川家達)に譲って謹慎して、戊辰戦争ののちに駿河で隠居、のちに貴族院議員となって政治に関わるなどして天寿をまっとうする。
江戸は慶応4年7月17日の「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」をもって東京で天皇が親政をとることとの発表がなされた。いわゆる東京奠都で、東京は実質上の首都となる。
つまり、家康が作りあげた江戸は現在を隆盛を誇る大都市になったわけだが。日光東照宮がわざと未完成にさせたことで不滅の呪をかけているように、東京もいくつか完全ではないことがある。
実は東京が日本の首都であるという法的根拠はひとつも存在しない。京都が首都で、遷都令が出されていないからという京都市民の主張とは別に、日本の法令には日本の首都は東京とはひとことも書かれていない。
それからもうひとつ。日光東照宮を語る上で、「日光を見ずして結構と言うな」ということわざがあって「日光東照宮の美しさを褒め讃えたもの」と言われているけれども、天海僧正がつくったのならば、にっこうけっこうといえば日光菩薩と月光菩薩だろう。日光菩薩が日光東照宮ならば月光菩薩は月山。日光菩薩と月光菩薩は薬師三尊の脇侍なので、中央には薬師如来が存在する。日光東照宮と月山をラインで結んだ中央には、会津の龍興寺がある。天台宗の寺で幼いころの天海が出家した寺とされている。っていうのは考えすぎだろうか。
おしまい。
おはようございます^^
江戸のお話は神田明神の平将門はずしの話まで書きたかったのですが、明治になってからだしって次にしました。霊的結界って今ではオカルトだけど当時は現実的な話だったので、当時と現代の考え方の違いをいかに飛び越えるかが高い高いハードルですね。
日光東照宮は外国人観光客がいっぱいですが、行くと楽しくて本当に日暮らしになるくらいなので、ぜひ楽しんできてくださいm(__)m
江戸シリーズ終了、お疲れさまでした^^
西郷隆盛は、慶喜を切腹にまで追い込もうとしてたのですね~;;
大河ドラマ「西郷どん」では、途中まで仲良しだったのに。
難しくて、半分も理解出来てないかもしれませんが、とても興味深いお話でした。
東京に住んでいるのに、気付かないことがたくさんあって面白かったです。
日光東照宮にも行ってみたくなりますね♪
教えて頂き、ありがとうございました(*^^*)