高等教育無償化は本当に有効なの?
- カテゴリ:人生
- 2019/09/13 15:31:39
「相対的貧困」のために、進学を諦める子どものため、あるいは、学費を稼ぐためにアルバイトで忙しく講義に出られない本末転倒ことになったり、奨学金という名前の学生ローンの返済で卒業後も経済的不遇にあったりという状況を改善して、学びたい子どもたちは存分に学べるようにと検討されているのが高等教育無償化の政策です。
一見すばらしい政策に見えるけれど、見る方向を変えるとうさんくさいものに変化してしまいます。
「事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある」橘玲著によると。
”そもそも教育無償化がだれのためのものか、ということです。
農家が、「ご飯をたくさん食べれば健康で長生きできる」としてコメの無償化を求めたとしたら、これが農家への補助金であることは誰でもわかります。しかし教育の無償化では、まったく同じことを主張しているにもかかわらず、「子どものため」とか「未来の日本ため’(原文ママ)」とされて、教育関係者への巨額の補助金であることはだれも指摘しません。
これは国民のあいだに「教育はよいもの」という幻想が強いことと、教育関係者が高学歴であることから説明できます。彼らはその高い知能を使って教育幻想をまき散らし、政治家や官僚、国民を幻惑して自分たちの懐を税金で太らせようとすると同時に、その利己的な所業を自己欺瞞によって気づかないようにしています。優秀な詐欺師と同じように、自分への補助金を「子どものため」だと本気で信じ、きれいごとをいいつづける厚顔無恥は、自分で自分をだましているひとにしかできません。”
教育評論家の尾木ママも教育無償化は「未来への投資」として賛成しているが、「未来への投資」以上の意見は言っていない。そんなのは当たり前で議論の余地はないでしょうってことなのだろう。
”教育を無償化する根拠として、高卒よりも四年制大学の卒業者の収入が高いことが挙げられますが、これは奇怪な論理です。
一流大学の卒業生が就職に有利なのは、その希少性が知能と能力の指標として使われているからです。「東大卒」のブランドがあればだれでえも成功できるなら、18歳以上の全員が東大に入れるようにすればいいでしょう。大卒を増やせば貧困を解消できるというのは因果関係が逆転しています。”
一般的に高卒で就職するよりも大卒で就職したときに初任給が高いのは事実だけれど、それは大卒というブランドに希少価値があるからだ。
夏の甲子園に出場した高校球児と地方予選1回戦敗退の高校球児とプロ野球がドラフト会議で指名するときに、甲子園で活躍したほうが有利だから、すべての高校を無条件で甲子園に出場させましょうというのは無理なのと同じだ。
大学へ入るには試験があるから大丈夫といっても、高校無償化で名前を書けば入学できて卒業できるところがたくさんできたように、大学も同じようになるのはあきらかだ。
”教育無償化の理屈が破綻するのは、「子どものため」に税金を使えと主張するからです。「私的な利益になぜ自分の税金が使われるのか」との批判に抗するには、教育が「社会のため」であることを証明しなければなりません。「人的資本に投資すれば、(犯罪率の低下などで)10万円の税金が将来的に20万円になって返ってくる」というのなら、この話を真剣に考えるひとも出てくるのでしょう。
だったらなぜ、「証拠に基づいた」議論ができないのでしょうか。それは、日本で「高等教育」と呼ばれているものの現場にいるひとたちが、働いて税金を納める人材を養成しているかどうかを検証されると困るからでしょう。”
日本の政治は理想で語られて税金を投入してもやる価値があるとゴーサインが出される。しかし、のちに失敗となっても検証されることはない。というのは、検証してしまうと同じようなことが次からできなくなるからなんだよね。